浜田温泉 あら、こんなところにおらっしゃいました 今年の春に別府の浜田温泉に行ったんよね。この写真は確か1999年だったか、実に17年ぶり。浜田温泉はすっかりリニューアルされてしまって、この当時の浜田温泉は記念館になり、向かいに新しい浴場が設けられていた。 記念館のガイドというか、おねえちゃんにiPhoneでこの写真を見せた。右端が番台のおばちゃんで、ボクにアロエをくれた「人生いろいろ」を手を叩いて歌っていた。このおばちゃんは、当然のことながらもう引退しているが、今も健在なようで、ボクが行った日にも来ていたそうな。写真に写っているほかのばあちゃんたちはいまどうしてるのかわからない。三度豆嫌いなおばちゃんはどうしてるんやろ。
釜石市栗林町第20地割 39° 20' 43.56" N 141° 50' 1.01" E
小説における描写 『小説における描写というのは、列車で移動していく時の車窓の風景みたいなものです。今日私は横浜から新幹線に乗って来ましたけれども、速いですね。今はあらゆるものが目的地に着くことを第一とする。何かを見るとか、味わうということが、はしょられる傾向にがありますね。若い人がケータイ小説を読みたがるのも、早く結論が知りたいからです。小説を読むことで自分も悲しい感情になりたいとか、ぱっと結論の方に行きたい。まどろっこしい描写は読みたくないわけです。』(富岡幸一郎「日本語の魅力、文学の面白さ」樹林2009年冬号)
うんうん、何か本来の楽しみを置き忘れているなと。 とかなんとか言いながら「NO高速」と標榜していながら、ぴゃーっと高速で駆け抜けてしまっている今日このごろ。でもな、地方都市に行っても、バイパス沿いは、TSUTAYAやら、ユニクロだの、はたまたニトリだったりしてつまらないから、思わずそういうところはすっ飛ばしてしまってます。それでも行くところに行けば時間の流れが違うんだよなぁ。
一時デジタルばかり、ひどい時には一日に1000カット撮ってみたりしたけど、最近はさっぱり。なんでやろ?もう飽きたんか。アナログの優位性なんてこれっぽちも思ってないのに、なぜかここ一年二年はアナログ、それもモノクロ一辺倒。 カラーを撮っても現像に出す金がないという赤貧状態の時もあって遠のいたというのもあるだろう。ナニワカラーキットももうなくなってしまったしね、かと言ってカラーの自家現像してやろうなんて意欲もない。カラーはもうデジタルでええわともう何年も前からうそぶいてる。 で、デジタルはどうなんだというと、この数年間のデジタルカメラの趨勢にまったくついてけていない。ミラーレスがなんやねん、ISO19200のどこが偉いねんって、ほとんど酸っぱい葡萄状態であるけれど、思うに、デジタルってさぁカメラって気がしない、それだけのことなんじゃないか。愛着が持てないんだな。それはメーカーからしてカメラに愛着を持ってないからじゃないかと思うわけです。それとデジタルのあのごっついフォルムがイヤなんだろな。あ、あとわけわからん機能満載ってのも嫌だ。どうせデジタルで、中身もデジタルなんだから、アプリみたいに自分でカスタマイズできたらいいのに。 と、ぐちゃぐちゃ言うてるけど、ライカにとりあえず賞味期限5年過ぎたカラーフィルムを詰めて歩こ。 あ、これは末期のミノルタαですね。9年前です。
とFBに書いたら、じゃかじゃかとコメントついて、知らんって(・。・; どうでもええ話なんだわ。写真論なんて語ろうなんて気はさらさらないね。
いつの間にこんな情けないこんなにも荒んだ国になりはててしまったのだろうか。
「美味しんぼを風評被害として抹殺するのは許されない」から
3.11事故は、多額の税金を使いながら巨利を貪ってきた東電関連原子力産業と国策として原発を推進してきた日本政府におもな責任があるので、彼らがまず被害を受けた福島県をはじめとする汚染地域の住民に謝罪し、賠償すべき事柄です。それが、あろうことか、あたかも住民の健康被害はなかったがごとく言い募り、住民の立場から福島の過酷な現実を活写した「美味しんぼ」を攻撃するという挙に出ているのです。彼らの行いは「美味しんぼ」の抹殺と作者の口封じであり、言論と表現の自由の圧殺に道を開くことものだと言えましょう。
事故後の福島の被曝線量と鼻血の因果関係は、現段階では立証されていません。ただし、「立証されていない」ことと「因果関係はない」こととは、イコールではありません。科学とは、丹念に事実を調べ、論理を組み立てていくことです。従来わからなかったことが、研究の蓄積によってわかるようになることが、科学の本質です。「わからない=ない」という論理自体が、科学的ではないと思います。