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20081201 Mon [長年日記][ツッコミを入れる]
20081202 Tue [長年日記]
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■本日の食事 オイルサーディンと水菜のなんちゃってパスタ |
川本さんの写真って、なんでこんなに面白いんだろうって、観るたびに考えるんです。
やっぱり「写真って何だろ」「写真って何だろ」「写真って何だろ」「写真って何だろ」「写真って何だろ」「写真って何だろ」「写真って何だろ」って、ずっと問うている人の写真だからだと思いいたります。
つまんない写真にはこの「問い」が欠如しているのです。もしくは、勝手に間違った答を出しちゃってるのです。
「写真って何だろ」と問い続けているのはカマウっさん自身で、彼のブログのタイトルもずばり《OK,Darling. But What is Photograph?》。「写真って何だろ」と自分自身で問い続ける一方、ずんと釘をさしちゃうんだから、こわっw
そして今年4月のOK,Darling. But What is Photograph?と題された記事から
あるひらめきとか感応があって、写真家はカメラを向ける。ある程度の予測と、その予測に近づけるための写真機への習熟と、それがどういう露光を得てどういう画を得るかという技術的知識があって、シャッターが押される。
しかし、写真は絶対に何かを裏切るのです。
その裏切りが、時として心臓を抜くような力を持つ。不意打ちのようにそれはやってくる。
僕が撮る写真には特定の被写体というのはなくて、何か自分を裏切ってくれそうなものを探して歩いている感じ。
比較的人物の写真が多いのは、人物写真がいちばん自分の意図を裏切ってくれるからです。
人を撮ると、必ず事前に思い描いた画よりも、良くも悪くもズレてくれます。逆に思い描いたとおりに写ってしまったりしたときには、自分でまったく面白いと感じない。やはり何らかの裏切りを期待してシャッターを押している部分があるのです。
でも撮影者の、そして被写体の思惑も無視して、何かが写ることがある。その何かが写ってしまうという、写真のからくりが、僕にはとても興味深く思えるのです。
ちょっと長く引用しすぎたか。あ、部分的にボクの都合だけの引用なので、誤解ないためにも、是非カマウっさんの原文を読んでみてください。
思い描いた通りの写真を撮ることに快感を得るのか、予期せぬサムシングに快感を得るのか、出発点から異るのかもしれません。が、より多くの機会に「写真って何だろ」と、少年、男である必要もないのだが、やはり少年が、少女、これまた女である必要もないのだが、象徴的に少女を撮ることをする限り、まったく予期せぬサムシングがすっとやってきてくれるものです。それが写神なんだと、信じています。
もうひとつ引用。なんやきょうは引用DAYかゐw
「趣味だから」という一言で進退賭けられる「馬鹿」と、それなら自分が責任取ると乗っかる「馬鹿」と、そんな「馬鹿」に理由もなく魅力を感じてしまった「馬鹿」と。
あぐらをかいたまま白い目を向ける賢い人々には、馬鹿がすることはきっと理解できないでしょう。でも、これだけは言わせてもらうぜ。内心密かに羨み妬み蔑むのなら、手前でやってみやがれ。こんなこと出来る馬鹿の馬鹿が揃ってるのは仏文くらいのもんだ。
ああ、そこには「人間」がいました。計算しつくすことなんて不可能で、きっと間違っていて、分からず屋で、それでも、それだからこそ血が通っていて、こんなにも温かい、「人間」がいました。血こそ流れませんでしたが、汗と涙は実際に流れました。
仏文・H永クンのミクシ日記。とくに私論をさしはさもうってことではなくて、勢い(活き良い)を感じたのでね、見習わなくちゃ。勢いがなきゃ、何事もつまらんですよ。
きのうの晩はオカン家で肉ジャが。うちではないのだがテレビ見ながら晩ごはん。すると、女の子の死体遺棄でオタクが逮捕されたニュース。「もしボクが(女で)風俗やってたら、こんなん来たらイヤやなぁ」と口走ったら、「こいつ風俗にも行けんから、5歳の女の子をやっちゃうのだろ」とここらは完璧に2ch乗り^_^;
ところがそのことをミクシに書いてたら、その犯人が知的障害だとか。そのことで気まずいったら、気まずいのだが、あんなにでかでかと典型的ヲタクの顔を放映して、いかにもこの男はヤバいのだと放送すりゃ、ボクでなくても誰だって、まずこいつはヤバいと刷り込まれるだろうに。
おりしも、裁判員制度が始まって、この事件がその最初のケースになるやもしれないということもこの事件のニュースの中で伝えているのに、こうしたマスメディアの操作というのは影響がでかすぎるってことを、垂れ流す側はわかってんのか。もうちょっと真剣に考えろよ。
最近のトイレ本はサライの10年ほど前のバックナンバー。適当にうんこ時間にちょうどいいのだ。
一瞬、美文に見えるのだが、なんともかんとも残らない文章、サライの文章のすべてがそうってわけじゃないのだけれど、読んでいて非常にイラついてきた。それは
お屋敷をつかったレストランの紹介なのだが、書き出しが
「東京大学農学部のある、本郷弥生町の交差点からゆっくりとお屋敷街を歩くこと約10分。」
この文章自体いやらしさを感じる。すっと「本郷弥生町の交差点からゆっくりとお屋敷街を歩くこと約10分。」でいいじゃない。東大をもってくることでイメージを補完してるつもりだろうけど。さらに、なんで「東京大学」でなくて「東京大学農学部」なのか。東大ってそんなに広い? もう少し読むと「もとはといえばこのお屋敷、明治時代に活躍した、東京帝大教授の櫻井省二氏が建てたもの。」 ぅ〜〜む(-。-;) これらの修飾のいやらしさがつきまとって、伝えるべきことが見えてこない。たぶん中身はないのだろう。きっと、このレストランも構えばかりで出てくるのはさむい料理なんじゃないのかとまで感じさせる。はて、何料理のレストランなんだか、どんな料理かという記述が、書いてあったのか、さっぱり残ってこない。
正確に引用しようとわざわざトイレまで取りに行った。すると見出しにでっかく
「和洋折衷、造船学者の屋敷
本格派フランス料理」
とあった。行かない。
こういう文章というのは、書いたらいかん文章の典型じゃないか。なにも文章に限ったことではないのだけれど。
でも撮影者の、そして被写体の思惑も無視して、何かが写ることがある。その何かが写ってしまうという、写真のからくりが、僕にはとても興味深く思えるのです。
ああ、そこには「人間」がいました。計算しつくすことなんて不可能で、きっと間違っていて、分からず屋で、それでも、それだからこそ血が通っていて、こんなにも温かい、「人間」がいました。血こそ流れませんでしたが、汗と涙は実際に流れました。
なんとはなしに、ゆっくり日記を書く余裕がなくて、気になったことをミクシにささっとメモっては、こちらに記してるのだけれど、きょうもその12/5分を整理して発見。この2つの引用は、偶然とはいえ、妙な整合性があるね。へへへ。。。だからもう一度引用。引用元は12/5のうらまご参照。
いきなりエライことになってきました^_^;
あのですね、来週の《コンデジ様が通る》なんですけど、はじめの趣旨はこうなんです。だいたい、コンデジだの、デジイチだの、はたまたキスデジだの、そういう省略した言い方が嫌いでね、ほら、少し前ですが、フォトショップを、フォトショなんて省略して、さらに調子こいたアフォがホトショなどとわけわからんこと言うので、ホトショって、どんなほと売ってる店じゃと噛みついてやったんですが、その相手は「ほと」という言葉も知らなくて、知らんから使えるんやんなぁ。そんなもん、ちょっと言い方変えたら「オメショ」ですよ。あ、話がまったく違うほうへ
よいしょっ(←話を元に戻す掛け声)、でね、「わたしなんか、コンデジしか持ってないから、そんな出すような写真撮れません」とか、よく聞くのだけれど、どんなバカ高いカメラや、どんなすげぇレンズを持っていても、ほんまつまらん写真しか撮れんのいっぱいいてるし、あ、ボクのもつまらんのですが(と、いちおう、ねw)。一眼レフもってたらすごい、長玉もってたらすごい!なんて勘違いしてる人だらけ。ちなみに森山大道が一眼レフで撮ってるを見たことないんですが。(ん?ボクの勉強不足? 使ってた?)
でね、ちょっと数年前までは500万画素にも満たないPowershotでガンガン撮ってたのですよ。あの頃の名作もけっこうあるよなぁ。いかんせん、画素数が少ないために、でっかくしたらヤバいんだけど、実は今回、ボクはそれで行くつもりだったの。ほれ、これ300万画素やでってね。それで、あれとこれとってだいたい頭に描いてたのですが...
さて2日前になってカマウっさんの「参戦」表明。さらにきょうになって、なんとモノクロ普及委員会委員長の遠藤さんの参加表明で、事態は急変。コンデジどころか、川本さんも含めてみんなGR-Digitalでやる気満々。はにゃってわけで、ボクもGRDで行っちゃうよ。もう。あ、ちょっとだけ、ネタばらししといたろ。今回のアレブレに出展してたGRで撮ったの、ちゃっかり来週に回しましたよ。つまりはブレボケですけど、8割の勢いに賭けますよw 修練で2割ばっちりにしても、勢いが全くなかったら2割のままだもんねぇって、これを負け惜しみっていうのです(苦笑)
いや、構想がまだふらふらぐらぐらしてるので、来週始まってからでも入れ替えるかも。というわけで、きょう一日はネタさがしに明け暮れて、じっとスライドショーさせてたら眠いの(笑)
あ、そうそう、タイトルを《コンデジが通る》やなしに《コンデジ様が通る》とした時点でこうなるわけだったのね。だって、あのまゆメが、甲高い声で「わたしもコンデジ持ってるでぇ」とポーチからGR-Digitalを出してきた瞬間に「GRをコンデジなどと言うなぁ!コンデジ様と呼べ」と。
あぁ、きょうから、アレブレボケ始まってますぅぅ('_;)
昼に弁当食いながら、荒木経惟の『花緊縛』を見る。なるほど、荒木経惟の女たちもそうだ。夜に気になって、またしても『勝手にしやがれ』。もう何回目だ^_^; やっぱりジーン・セバーグはそうだ。って、ジーンが言うてことなのだった。
あ、ちなみにラスト近くでイタリアのカメラマンが持っているのは、ローライフレックスなのでした。
ミクシが住所がわからなくてもマイミクに年賀状を送れるという代行サービスを開始した。ところが、これがクセモノで、二次的にしろミクシが容易に会員の個人情報を吸い出せる。つまり
はい、これが問題なのです! なんでボクが、ミクシに住所・氏名を知らせなきゃいかんのですか? ミクシとボクが何かの売買契約でもしましたか? 個人情報、個人情報と目くじら立てるのもアフォかいなと思うのですが、こんなふうにして個人情報をかき集めるワザがあったのですね。拒否したら、失礼じゃないかという心理を、たくみにミクシはついてるのがいやらしい。
絶対に ボクのとこに、ミクシ年賀状は送らないでください。
taken by chetka
あっちにもこっちにもblogやら日記を持ってると、その使い分けが大変なんですけど^_^; いや、あっちに書いたのだけど、こっちにも書いておきたいっていうか。要するに欲張りなんです。
ときどきこうして知らん人の写真、見てまわらんとね。とくに外国のん。感覚が違うから、ハッとさせてくれる。これもね。この一枚だけだとキワモノっぽいけど、非常にリアルな切り取り方をしてくる。プロフを見たら、ロシアの女性。いいねぇ。やっぱり男ってつらいよ、寅さん、小さいときから、お利口さんにならなきゃダメって育てられているから、写真撮るにしたって、上手い写真でなきゃというのが先に立つ。つらいなぁ。
話はあまり変わらないが、いや、ふつうは話は変わって、と続くものだが、やぱり写真の話で変らない。うりゃ、先へ進めよ>自分
遠藤さんのブログ見てたら《最近枯葉ばかり撮っている。/好きなものはしょうがない。/飽きるまで撮る。》 いいねぇ。そうでなくっちゃ。あ、それだけですw
■本日の食事 ベトナム風茄子と干し海老の甘酢炒め |
吉田さんに頼まれていたピンホールをスキャンしてやっとのことで中5に入稿。それはいいんだけど、あの現像、ラボに出してんだよねぇ。現像ムラ(-。-;) もうかんにんしてくださいよ。ネガの反りでスキャンのときに影ができてんだと思って、スキャンに思いきり苦労。そのあと、フォトショップで現像ムラを消したのだが、1回目、最初におおまか適当にやったもんだからどうにも変。結局、もう一度スキャンしなおしたら意外とすっと済んだ。でもこれできょう一日食われてたまらん。
■本日の食事 サンマの開き |
出品無料キャンペーンがきのうきょう。というのをきのうの夜に急にわかって大慌て。先月後半あたりからぱったり売れてへんもんなぁ、世の中、景気悪いらしいです。あ、首相も麻生だかになって、どうも浮かん顔だワ。まぁ、コイズミのツケがどっと表面化してくるころでしょう。あまり関係ないですけど。とは言うてられないのも事実ですが。
■本日の食事 キムチ餃子鍋 |
初日なのでさっさと帰って、ゆっくりDVD鑑賞。が、なんてこった、これがチェン・カイコーかよ。って、詳しくはブログ
なんば経済新聞というネット内の地域情報サイトにGRD4の記事が掲載された。『沈降速度』からの関係でカマウっさんが呼んでくれたのだ。その取材がきのうの夕方にあって、すぐきょうの記事に。大変だ。で、
とは言うたけど、ちょっとニュアンスがちがって、「威圧感があまりないから撮り逃げしやすい」という意味ね、ボクの場合はねw それと小さいということでハンドリングがよい。そのため、相手に気づかれずに撮ってしまえる って、あくまで撮り逃げするための武器としてGRは最高です(笑) もうひとつ、話がめんどくさいので言わなかったけど、GRアナログからの伝統で、スナップモード(距離2-3m固定)があるから、AFのタイムロスが非常に小さい。ゴリ押し(うむを言わさずシャッターを切る)のがとっても楽です。
ちょっと言葉間違ってるって(^。^;) 「接写するには対象物に自らが近寄らなければならない」んじゃなくて、広角でズームがないから、ズームしたかったら、自分で被写体に近づかなアカンという意味。接写ちゃうよ。で、どんだけ近づけるか、その距離感が、撮る人によるでしょ。GRってのはそういう意味で撮る人間が出やすいんちゃうってことを言うたんだけどなぁ。あんまり通じてなかった。難しいか。「写真を見ると、撮影者か対象物に近寄ったのか遠くから撮影したのか、立って撮影したのか座って撮影したのかが分かる」 そんなもんGRちごたって当たり前やんか。
いや、結果的にGR写真展になったけど、元はっていうと、「コンパクトしかもってないからぁ....とてもとても」というのが歯がゆいの。安井仲治の四十八宣(よろし)の「う 写るのはあたりまへと心得るがよろし」なんですね。どんなカメラでも写るンです。いや、きょうもカマウっさんと遠藤さんと話してたんだけど、遠藤委員長に言わせると「カメラを持って歩かないってのはノーパンで歩くようなもんだね」 つまりはどんなカメラでもいつも持ち歩くのがいちばん大事なんじゃないですか。でね、きのう取材に来た女の子、取材でニコンのデジイチ使ってるので、写真とか撮らないのって聞くと、「旅行行ったときにコンパクトで撮るぐらいだから....(こんな展示なんかとても...)」 ほらね。そんなこと言うてんと、いつも写真撮ればいいのに、と思うのでした。
「エミー賞」どうたらこうたら言うので、ん?なんじゃそりゃと聞いてたら、上沼恵美子のどうたらこうたらで、まぁ適当に想像してたのだが、調べたら「エミー賞」やなしに「えみぃSHOW」ってか。そんな知るかぁ。くだらん! だいたいあんな上沼恵美子みたいなんが地上波テレビやらラジオでうろちょろするから、「大阪は外国」などと言われるのだよ。あれこそ「大阪の恥」以外のナニモノでもないだろ。
で、その話はどうなって、どこに落ち着いたんだっけ? コーリちゃん(^。^;)
10時スタートっていうから、ゆっくり目に行ったら、ちょうどRaster Notonのトークショーが始まったところ。が、通訳してるのが何をしゃべってるのか、まったく聞き取れないで、なんかようわからん。もう一人、誰だか知らないが、日本人が一人、ノイズミュージックがどうとか、アルゴリズムが、ライフゲームが、って、ランダムで偶発的なサウンドの成り立ちでってしゃべるのだが、デモで見せてるのが、ゲーセンの騒音(ノイズ)にしか思えない。まぁ、きっちり作り込んだのでいいからデモってくれんと、あれじゃ興味がわかないですよ。ユーコさんのキッチンミュージックとかのほうがずっとおもしろかった。年とったせいなのか。
それにしてもクラブにいる連中ってのは、みんなアテもなくタバコすいすぎで、タバコやめて3年近くにもなると、あの空気は耐えがたく、raster-notonのライブを待たずに早々に退散。さすがにクラブ活動はもはや卒業か。
こうした音楽がクラブの中で終始してしまうのって、どうだかなぁ、もっと異る場ができて然るべきだと思う。
着いたばっかり(^_^) さっきひと通りみたばっかり(^_^;
《1978 年初夏、40 歳を目前に、東京での生活に“ 一種倦怠というか肉離れ” を感じていた森山は、そんな状態から逃れるため、三ヶ月という期限付きで札幌にアパートを借り、北海道の町々を撮り歩きます。そこには、明治初期、田本研造と北方写真師たちの手による北海道開拓の写真に対する思いが大きく影響していました。
本作は、1978 年以降ずっとネガのまま眠っていた北海道の写真が収録されており、そのほとんどが初公開の作品です。》
ボク自身、70年春から76年の春までの6年間いた北海道だけに、写真とは別に個人的にスイッチが入ってしまう。ホロ苦い札幌。比較的、夕張と函館が多いかな。なんでだ?というのでは深川とか、あ、美唄の駅も入ってた。ちょっとうるっと来てしまう。
ほとんどと思うのだが、初出の写真ばかりで、何枚あるんだ?400はゆうにあるか。が、しかし飽きさせない。じ〜〜んと来てしまう、ヤバさ。なんでこんなのがいままでお蔵入りしてたんだ。いや、逆な言い方すれば、じーんと来させる分、分かりやすいったら分かりやすいのだが、そんな評論家みたいなことはおいといて、とにかくすごすぎます。
はい、かつての「みよし荘」のあったところ。誰、ドキッとしてるのはw。この左の建物のところに壊れたサイロがあったのですね。その「みよし荘」はもう建て替えられて、ちがう名前になってます。
上の大道さんのすすきののニッカを見て、あ、そっか、ストリートビューで見ればいいのだと、ついスイッチを入れてしまう。MOJOとか、モツラとか、オニオンとか、すべて消えてない。そいや、10年ちょい前にツーリングで行ったときももうなくなってたよな。でもMOJOにいたときによく炸麺を食いに行った香州は残ってたなぁ(^_^) 「炸麺いっちょ〜〜」って今だと大きな声で言えませんけどねw
どうせ、こんなリンク1ヶ月もすりゃ消えるんだろうけど、なにがおもろいの。バッカじゃなかろうか。というか、犯罪者だから笑いとばしていいのか。容疑者ってのは犯罪の容疑がかかっているだけだろ。それを暴きたてておいて、自分の肖像権だけは主張する。おかしいやろ。気になる人は自分で「容疑者顔写真大賞2008」でググってみなさい。
こんな事件があった
と、いちおうゆーつべの映像だけど、これとていつまであるや知れず、10/26、「東京都渋谷区にある麻生首相の豪邸を見学し、そのような豪邸に住む人間が、貧困や格差問題を解決できるのか?」とネットで呼びかけて、アソーの豪邸を見に行こうと歩いたところ、官憲が無届けデモだと不当逮捕。それを受けて、野党に下った元自民党のアホの坂田ことスズキムネオの弁
「権力側が出す情報というのは裏づけが取れないのでそのまま出すしかない。私の時も検察のリーク、外務省のリークをそのまま流された。マスコミは、反権力といいながら、権力の側に利用されていることもあるのです」
(http://www.cyzo.com/2008/11/post_1192.html)
アホと思うてたが...σ(^_^;)アセアセ...
ミクシのとある人が書いている日記を読んでいて、最近手に入れたタブロイド版中平卓馬の表に記されていたことばに思い至る。その日記とは真逆。
自意識を解体すること、それをすすんで引き受けること、それが私の考えること、その自意識の解体と再生を自らすすんで引き受けること、それが写真家として止む事なく私が考え、引き受けつづけることである。
ん?これって、『なぜ、植物図鑑か』にあったかと、大急ぎでパラ見。
見つからず。かわりに気になることどもがあっちこっちに。また真剣に読み直さねば。正月休みの課題か。
それで、ふっと思ったのが、「自意識」は解体されてしかるべきだが、「私意識」は逆に紡ぎ出すべきだと。たは、ボクが言うと、単なる言葉遊びに終わってしまいますが。わかる人にはなんとなくわかるでしょ。自分でもうまく説明できませんが^_^;
見せちゃいけないもの、それは見せたらおしまいだろうというものが絶対あると思うのだが、このズラウスキーってのは臆面もなく見せてしまう。それには閉口した。ってね、それは同じ監督の『ポゼッション』(アジャーニ主演)でも思ったことで、「もういいです、こいつは」ってつもりで、まごれびゅ書いてるのに、なぜか、短い紹介文とか、これってたぶんにエロっぽいのじゃないとか、つい騙されんだよな。おバカ...
先週に比べれば、ヒマってったらヒマ。気になる『植物図鑑』を読む。
<イメージ>とは極論すれば、作家たる個がもつ世界についての像であり、それは個に先験的に備わっていなければならなかった。(略) 作家はア・プリオリなイメージに従って世界を見、世界に触れることが要求されていた。だがそれは結局のところ個による、さらに言えば、人間による世界の歪曲、世界の人間化を意味するにすぎなかったのではないのだろうか。
作者たる個人がもつ世界についての像が全てに優先され、それを作品を見、作品に触れる多数者のもつ同様な像に合致させるということがすべてであり、と言うことは、彼らが慣れ親しんだ既成の図式、彼らが現実に対してもっている既成の概念を裏切らず、それらに照準を合わせて解説してみせさえすれば表現行為は終わったのである。
だがそのことは世界をあるがままに視つめることではなく、それどころか世界から眼を閉ざすことを意味したにすぎなかった。われわれの眼は眼窩の内側にひきつけられ、反転していた。
ウンコしながらでさらっと読む用にトイレにもうほったろ(捨てよう)という雑誌を置いてる。あえて出典は書かないけど、こういう文章ってどうよ。
《前方にそびえ立つ岩手山を時速120キロで手繰り寄せ、やっとの思いで左のバックミラーに閉じ込める。》
という書き出しで始まるのだけれど、ぅ〜ん、なんかこいつ自分に酔ってないか? 一時、こんな文章に煽られて、バイクを乗り回してた自分がちょっと恥ずかしくもある。まぁ、だいたいライダーなんて、自己陶酔の世界だね。単なる移動の道具に過ぎないのに。だからって、10数年になるバハをいまだに廃棄できないでいるのですが。。。。
やっぱりこの雑誌もこの文章もバブリーな時代の産物だったんでしょうか。