ヤン・シュヴァンクマイエル....なんべんたってもうまく名前言えなひ(^_^; シュヴァンマイヤー・・・ん? ま、そんなもんだろ。あらら、文字化けしとるねぇ。テキトーなフォントだとちゃんと見れるはず。
短編集を上映する、とミクシで3日ほど前にアナウンスしたら、5人集まって、それくらいこっそりプライベートにででも集まってくれるなら、またやってもいいかと思う。いちおう終わってから、向いの壁に投影。これがまたなかなかいいです。
茶本繁一(S101) / taka / ORANGER / 大木一範
きのうの昼までどのラインで行くか、決ってなかった、あ、ボクの出す分ね。いちおうセレクトはしてたけど、きのうも撮ってみてからって考えていて。というわけで、自分でいうのもアレだけど、かなりポップですww 12日までね、 11日(月)も休まずやります。
弔辞 8月2日にあなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに、本当に残念です。 われわれの世代は赤塚先生の作品に影響された第1世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクター、私たち世代に強烈に受け入れられました。10代の終わりからわれわれの青春は赤塚不二夫一色でした。 何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていた時に、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫が来た。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。終わって私のところにやってきたあなたは、「君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住むところがないから、私のマンションにいろ」と、こう言いました。自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。 それから長い付き合いが始まりました。しばらくは毎日新宿の「ひとみ寿司」というところで夕方に集まっては深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。他のこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、いまだに私にとって金言として心の中に残っています。そして仕事に生かしております。 赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。麻雀をする時も、相手の振り込みであがると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしかあがりませんでした。あなたが麻雀で勝ったところを見たことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかし、あなたから後悔の言葉や相手を恨む言葉を聞いたことはありません。 あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折見せるあの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀の時に、大きく笑いながらも目からはぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺の時、たこちゃんの額をぴしゃりと叩いては、「この野郎、逝きやがった」と、また高笑いしながら大きな涙を流していました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。 あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。 今、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が、思い浮かんでいます。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外への、あの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。 あなたは今この会場のどこか片隅で、ちょっと高い所から、あぐらをかいて、ひじを付き、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に「おまえもお笑いやってるなら弔辞で笑わしてみろ」と言ってるに違いありません。あなたにとって死も1つのギャグなのかもしれません。 私は人生で初めて読む弔辞が、あなたへのものとは夢想だにしませんでした。私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今、お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の1つです。合掌。 平成20年8月7日、森田一義
8月2日にあなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに、本当に残念です。
われわれの世代は赤塚先生の作品に影響された第1世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクター、私たち世代に強烈に受け入れられました。10代の終わりからわれわれの青春は赤塚不二夫一色でした。
何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていた時に、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫が来た。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。終わって私のところにやってきたあなたは、「君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住むところがないから、私のマンションにいろ」と、こう言いました。自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。
それから長い付き合いが始まりました。しばらくは毎日新宿の「ひとみ寿司」というところで夕方に集まっては深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。他のこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、いまだに私にとって金言として心の中に残っています。そして仕事に生かしております。
赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。麻雀をする時も、相手の振り込みであがると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしかあがりませんでした。あなたが麻雀で勝ったところを見たことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかし、あなたから後悔の言葉や相手を恨む言葉を聞いたことはありません。
あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折見せるあの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀の時に、大きく笑いながらも目からはぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺の時、たこちゃんの額をぴしゃりと叩いては、「この野郎、逝きやがった」と、また高笑いしながら大きな涙を流していました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。
あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。
今、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が、思い浮かんでいます。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外への、あの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。
あなたは今この会場のどこか片隅で、ちょっと高い所から、あぐらをかいて、ひじを付き、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に「おまえもお笑いやってるなら弔辞で笑わしてみろ」と言ってるに違いありません。あなたにとって死も1つのギャグなのかもしれません。
私は人生で初めて読む弔辞が、あなたへのものとは夢想だにしませんでした。私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今、お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の1つです。合掌。
平成20年8月7日、森田一義
ぅ〜〜ん、バタイユという刷込みがきつくて、どうしても『眼球譚』やら『マダム・エドワルド』のイメージが先に立つ。いや、何がっていうと、金子國義のイラストのイメージに占領されてるのだろう。だから、映画見てもなんか違うって感じてしまう。だいたい現代、しかもカナリア諸島(って、どこにあるんだ?w)
あ、突然、話は変わりますが、カナリア諸島、どこだ?って思ったら、速攻でググってみるわけです。で、これでカナリア諸島というのはどこにあるか、わかりました。この映画の監督、クリストフ・オノレ。聞いたことあるようなないような。でこれも早速wiki。すると、クリストフ・オノレはなくても、オノレ・ドーミエなんて、をいをい、なんちゅう名前なんやなんてのがひっかかってきて、するとオンドレ・ドナイヤネンコ、あ、ちゃいます、オノレ・ドーミエを見てみたりして、へぇ〜こんなのがいるんだと、またひとつ賢くなる。つまりですね、ちゃっちゃと自分で調べてみたら、また広がるってもんですよ、教訓です。
で、本題に戻りますが、ある意味、バタイユを映画化するなんて難しすぎるんじゃないでしょか、なんぼ イザベル・ヒューペール を、すんません。ユペール....あ、そっか、ヴィクトル・ユゴーと同じだ、ヒューゴじゃないのね、そのイザベル・ユペールを使ってもなんか違う。イザベルがおまけのインタビューで、オノレ監督の考えで設定を現代にしたのだと言ってたけど、なんだかなぁ。
ヤフオクの発送に、ひとっ走り船場郵便局へ。
民営化してサービス悪なったんちゃうか。うぅ〜ん、民営化する以前も親方日の丸商売やったから、なぁ〜〜んも変わっとらん。
というのはね、クロネコにしろ、佐川にしろ、土日も発送できるし、コンビニに持ち込める。でっかいポストはあっても、冊子小包なんぞはほりこめない。じゃぁ、もうちょっとがんばって営業しろよ。土日はかつての本局まで行かないとアカンのだよ。それで船場郵便局ってでかいから、てっきりかつての本局かと思うたら、そでない。そでないということは、ATMは稼働していても窓口は閉めてやがる。しゃあないからえっこらこのクソ暑いのに西郵便局まで走ったやないけ。西郵便局より船場のほうがでっかいのだけどねぇ。
コイズミのしでかしこと、どれも気に入らん。暑い中走らされたボヤキでございました。
こういうの書くのにも、いちおうちょっと調べてみたりするんですよ。オノレって、他にもなんかつくってたかな?とか。で、手軽にwiki すると 「オノレ・ドーミエ」なんて項があって、なんじゃこりゃってもんです。
おんどれ、どう見えんぢゃい?
すいません、全く関係がありません。こういうこと書いてると、また違反申告されそうww (註:ヤフオクに宇多田のDeep River出品したですよ。そのコメントに、プロモート用の写真は森山大道って記したら、商品に関係ないこと書いていると違反申告されたのです。ヒマ人めっ(-"-))
で、ですね、バタイユでしょ。ぅ〜〜ん、バタイユという刷込みがきつくて、なんか違うって。ある意味、バタイユを映画化するなんて難しすぎるんじゃないですか なんぼ イザベル・ヒューペールでもねぇ....を、すんません^_^; イザベル・ユペール...あ、そっか、ヴィクトル・ユゴーと同じだ、ヴィクトル・ヒューゴちゃうもんね
最近みてるあたりからすると、ずいぶんわかりやすくていいw 殺伐とはまったく無縁ですw 甘く切なく、そして悲劇...あなたにバッチグーかもよ
しかしルコントって、語りすぎるからなぁ。そこまで語らなくてもいいのにと思ってしまうのですが
あ、これって、1974年、そんなに古いんだ(^。^;) しかしドパルデュー若いしね、あの頭のかっこうはどうよ。(どっかの下●泥棒がヘルメットと言われた時期のアタマにそっくりw)やっぱり70年代です
そうかぁ、70年代かぁ。そうすると「俺たちに明日はない」のフランス映画版なのか。しっかしジャンヌ・モローは貫録ですよ。ビーチクさえ見えませんが(;^_^A アセアセ・・・で、ミュウ=ミュウはこれがデビュー作だったのだ。ボク的には『読書する女』ですが、そのミュウ=ミュウなんてばっちりヘアまで見えます、見せます。意外とこの『バルスーズ』は、いろいろとあるみたいですが、めんどくさいから書きません。おもしろいです。
ひそかに誕生日アピールw (してもしゃぁ〜ないのだが) でやぁ、ついにゴールド免許でありまする。クルマ乗らなかったら簡単にゴールドやねw チャリでは、ついこないだ、ねーちゃんの半ケツ撮ったれと追走中に、信号無視で捕まったけど(爆死) で、安全協会もボロい儲けやね。ビデオ30分見せて、ハイ、800円 しばくぞ(-"-) あ、今回は自分で写真撮ってもってったから安くついた。証明写真撮ります。300円で、どないやw
さて免許更新の手続きやらも終わって、アベノだったから久々に再開発で写真。青春の王民王民に涙しながら、でも1本しか撮ってないやん。アカンねぇ(-。-;) そのあと、やっとのことで、SOHO ARTに行けて、ちょうどJulian Hebbrechtさんz在廊。彼のストリートフォト、渋いよ ホームレスのおっちゃん撮ったので、めっさ渋いのがあったので、これ何で撮ったん?とJulianに、我に似合わず、ついカメラが何かを聞いてしまう。すると20Dと、すっと答える。いいね、いいね、デジタルだろうが何だろうが撮ったもん勝ちですね。ぐちゃぐちゃ言うてロクすっぽ撮らんやからが多すぎる。
で、島之内であたりでちょうどロール1本。ま、1時間ほども撮ってないからいいか。ところが、巻き上げたら、何か急に軽い。へ?あら?どしたの?とシャッターまた切ってみたら、巻き上げてもリールが回ってないじゃないの。はにゃ だれかみたくブチ切ってしもたけ(とほほほ(j_j) しゃないので ギャラリーで、フィルム巻き戻そうと、ダークバックにつっこんで、またしてもはにゃ?フィルムが巻き戻されとる。誰が巻き戻したんや、誰が? って、自分以外になかろが。しかし、カウンター36まで行って、あ、ちなみにFM2です。自動で巻き戻してなんかくれません。とりあえず、パトローネの中にフィルムが戻ってるのを確認。じゃあ、とっとと現像しちゃえ うわ、現像液、サラのにせな、え〜っと、ん?水道水 だいぶ熱いな。ちょっと氷入れたれ、ジャラジャラ、あ、氷入れたら、氷の分の水、なんぼやわからんやないの(-。-;) はい、元理科教師、氷浮いた状態で800mlにしたらバッチリやんってでもビーカーの目盛りあてにならんってw とはいうののの 何だかんだでアバウトでできちゃうのっ! いざ、現像。はい、結果、先に言うと
なぁ〜〜んも写ってません ナッシング! ナッシング アットオール
くわぁ〜〜、フィルムをセットするときにちゃんとできてなかったのだ。それにしても1本分、巻き上げのときに気ぃつかへんか ボケとるやんけ。なぁ〜〜んも写ってへん フィルムは誰かさんの現像タンク巻き込み練習用にとっといたるから 楽しみにしとけ (負け惜しみ)
きわどいところで行けた。2003年の京都の「横尾byヨコオ」より今回のほうが楽しめたかな。行ってへん人、行っときやぁ。来週の日曜まで。来週は横尾自身が来て、Y字路制作するらしいで。
《大阪市でまた裏金 風俗店に払った記録も、私的流用か 総額7億円を超える大阪市の裏金問題に関連し、平成14〜18年度の外郭団体や関連団体への委託料について調査していた市は15日、新たに計延べ12件、約320万円の不正な会計処理や目的外使用があったと発表した。うち6件で浪速区が関係していた。同区の目的外使用の事案では、職員が団体メンバーと飲食したうえ、ラウンジや風俗店とみられる店にも支払った記録があり、市は私的流用の可能性があるとみて調査を続ける。》(8月15日21時53分配信 産経新聞)
これぢゃ、10年近く前のことだが、この2008年のオリンピックの誘致に負けて当たり前。 てか、北京は北京で、歌声の吹き替えやったり、花火がCGだったり、中国の民族のすり替えやったり
これでは「中国産」オリンピックだべ
最近は映画一本でも一気に観ることができなくなって、二日がかり。この『彼女たちの舞台』もしかり。それでも流して観るんじゃなくて、自分ながらにしっかり観てるつもりだけど。
舞台稽古、マリヴォーの『二重の不実』ですが、それにかなりのシーンが使われている。これが、舞台の上で演じられる(稽古している)部分が、舞台を下りた先の部分にいかに連結されるのか、そこらを読まないとなぁと思いながら、これってリキいりますね^_^; だいたい、それがマリヴォーの『二重の不実』だというのも、どうも自分なりにすっきりわからんというわけでネット(玉乗りする猫の秘かな愉しみ)に救いを求めて、わかったんだけどもw 『二重の不実』を知ってたら、もっとおもしろいだろうなぁなんて思いながらも、たぶん『二重の不実』を読んでもう一度観てみようなんてリキはなさそうです。
今年は思いの外 メッセージやらコメントやらもらっちゃって。免許更新のおかげで、そのことをミクシにちょと前に書いたからかな。
これまで誕生日って、あんまり何がどうしたってことないなぁ。だいたい夏休み中なので、みんなで誕生日だって、騒いだことなどほとんど記憶にない。ちゅうか、大騒ぎするのってきらいだから。
ひとりしずかに笑ってる ←おまえ、いつから宮沢賢治ぢゃ(^。^;)
というわけで、57なんてあまり区切りにもならない誕生日。早く60になって、赤いチャンチャンコはいらんから、年金がほしい。
昼ちょい前に起きて、ぼぉーっとしながら、ようやく2時近くになって出撃。おととい、撮り損ねた「青春の珉珉」に再度。あ、きょうはちゃんとフィルム巻かれて行ってるの確認。GRdで撮りながらだからfm2のほうは何とか2本。人にはアホほど撮れといいながらw、もっと撮らなアカンよねぇ。
その後、椎寺町、たってわからんわなぁw、地下鉄の四天王寺前夕陽ケ丘のとこです。そこのマクドで豚マックとチョコシェイクで遅いお昼を近くの公園で。上町筋を北上するのだがイマイチ。上六裏ももうあんまりないよなぁ。寺山住宅という手もあったのだが、東へ下るとまた上がって来るのが難儀な感じで、空堀をかすめて西に下る。手にマップを持ちながらカラホリですかぁ...その集団をふぅ〜〜んと横目でやりすごして、さっさとギャラリーへ。
あとはあさってからの準備でギャラリーの中を片づけたり掃除したり、まったく誕生日らしくない(j_j)
だれかの身勝手な雨ごいのせいでどしゃ降り。おかげでびちょびちょ濡れだろが(-_-)しばく(蹴)
それはそうと誕生日からこっち、ぐっと涼しくなって、なんなんですか?これで今年の夏は暑かったというのも平均したら、平年並ってことになるんでしょうか。
先週は超深夜帰りが3晩もあって疲れた。体力サプリも飲んだけどw日曜の夜はもうヤケというか、とにかく準備をすませて、月曜は完全オフにしてちょっと気分転換にどっかに写真,,,,この「どっか」というのがいかんのです。「どっか」というのは「どこでもない」わけで、結局、一日中うだうだとごろごろ。おかげで 久しぶりに、今シーズン初めてちゃうやろか、テレビでタイガースみれましたけどね。
あ、いつの間にか、北京五輪終わってました。をい、新井、疲労骨折ってか(-_-;)
うはぁ〜、ジャック・リヴェットって(^_^; なんだかんだって『美しき諍い女』がまだ一番わかりやすいじゃないの。ってかね、この『北の橋』もまともに追いかけたらこかされるんだろうな。
あぁ、このブログ、すげぇおもしれぇ〜 《破廉恥系圧倒的馬鹿ジャケ。》[2008-08-26 22:53:53]なんてサイコうーですよ(^。^) かとおもえば、《Miles Davis『Filles De Kilimanjaro』(1968)》[2007-09-12 22:53:55] 「マイルスを聴き出してから最初の10枚の内に聴くべきアルバム、ではナイです。安心して後回しにして頂きたい。でも、最初の30枚の内には入ると思われます。」(改行略) なんて、この「キリマンジャロ」を言い表してバッチリです。笑える、と同時に、すごく的確なレビューで参考になります、ハイ。
泰山ならぬ、キャサリンの携帯が夜中に鳴動して鼠一匹、ごそごそしてこわいから見に来てほしいって、あ、あんたねぇ、キミ、ドラえもんか(^。^;) もう寝よかいなと思うてる時間にチャリ走らされてもうなんだんねんと、関係者以外にはわけのわからん日記でごめん。イタチかもしれません。
あはは、これはずっと前にも見ていて、そういや、カティ・オゥティネンが『過去のない男』だったか、舞台挨拶に来たときも見に行った。それくらい結構なカウリスマキファンなのです。 吉本並にお決まりの運のなさの連続。吉本並ってのもわけわからんですが、ハンで押したようにお決まりの運のなさ、バカくさく笑えるくらいの運のなさってとこです。それはもうサディスティック、いや、Mのほうか、ここまでやってくれたら痛快です。そして以前にまごれびゅにも書いたのだけれど、カティ・オゥティネンの無表情はサイコー! いいなぁ、とってもいいなぁミニマリズムの美ですよ。