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20020807 Wed
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■本日の食事 朝昼:トースト1、牛乳1 夕:ソバめし |
カンポ・ディ・フィオーリの市はどうも函館の朝市っぽくて、妙にすれていて観光客相手みたいでおもしろくない。そうしてるうちにもバスで団体さんが通っていく。
遺跡に猫が住み着いて、猫もひっくるめて遺跡が保護されているという話しで来てみたのに猫1匹見あたらない。それもそのはずで暑さのあまりに日中、猫は陰で寝てるので見あたらないはず。帰りがけには1匹だけ遺跡の中で寝ているのを見つけた。
その遺跡の南の隅に下に降りる階段があって、その下が猫のシェルター。400なんちゃらかんちゃらと言うのを聞いて、入るのに400ユーロいるのかと、アフォです。ここには400匹の猫が保護されているんだって。そしてそこでボランティアしているおねえちゃんの一人が、大阪の野田中学で英語の講師をしてたとか。
パンテオンのすぐ近くのタッツァドーロというカフェは豆の焙煎もやっていて、その豆を買うて帰るつもりだったのに、気が付くと8時過ぎ。カフェならまだやってんのじゃないかと行ってみたらきっちり閉まってた。カフェであっても本来はコーヒー屋だからな。
昼間、閑散としていたナヴォーナ広場はどこから湧いたか人がいっぱい。それにあてこんだおもちゃ売りもいっぱい。ぶぅぶぅにそっくりの猫のおもちゃを買う。5ユーロ。
う〜ん、イタリア4日目となるとわかってきた。要は本場イタリア料理といえど、地の人間はそうそう毎度食べてるわけでない。これは日本人が毎度吉兆で食わないのと同じ。そう言えば、ボクは吉兆で食ったことなし。つまりローマの地のレストランより、日本のそこそこのイタ飯屋のほうが洗練されてんだな。そうとわかると、徹底して、日本の町の美味いうどん屋に相当するダ・マリオで晩も食おうと。
ゴルゴンゾーラ、つまりブルーチーズのピザ、これはシンプルで美味い。こんなのは日本にはないな。これぞ、本場のイタ飯。
■本日の食事 朝:パン、ヨーグルト、ハム、チーズ、シリアル、コーヒーいっぱい 昼@ダ・マリオ:カルボナーラ 夕@ダ・マリオ:ゴルゴンゾーラ、サルティンボッカ |
世の中、サッカーアジアカップらしいが、生粋のサッカーぎらいは見向きもしない。そんだなもんで、東京ドーム見てたけど、5時間は長すぎるわな。だから、野球離れが進行するのだ。後半はボケ采配にいらいらし通し。
なぁ〜んもでけへんと言いながら、借りてきたエロビデオをiMovieでとりこんで遊んでみた。QTファイルへの書き出しに時間がかかりすぎる。もはや、450MのG4ではついてけないのか。eMacでさえ、1.25Gだもんな。ちなみにiDVDは600M以上だってさ。だめだ、こりゃ。
きょうの岡田采配おかしいぞぉ
8回だったか2アウト1-3塁で鳥谷にそのまま打たせただろ。あそこはアカンでも代打八木だろ。9回に関本に片岡を代打で送るんだったら、絶対に鳥谷には代打だ。ここで突き放しとかへんから、5時間にもなってしまうんや。
9回、ノーアウト1-2塁で赤星に送りバンド。みごとに3封されてやがんの。これがきょう勝てなかった最大のポイント。久保はいきなりノーアウト1-2塁であたふたしてるのに、みすみすアウト1つやって、落ち着かせてしまった。おまけに今岡が2塁ランナーになってしまったから、秀太を代走に送らざるを得なくなった。これが延長に入ってからも尾を引くことになる。
そして最大の疑問符は、関本にかえて片岡。なんで関本をそのまま打たせへんのだ。きょうの岡田(堀内もだが)は右左を意識しすぎ。結局、右投手の前に、片岡、檜山の左が三振。
ちなみに、8回裏には左のペタに左のジェフを送ってバカでかいので追いつかれとる。あの交代はしゃあないにしろ、11回裏でも、左の阿部に左の吉野。アホか。きっちりレフト前にもってかれとる。右左なんて関係ないわい。とにかくむかつくんねん、右の久保に、なんで右の関本やなしに、左の檜風呂やねん。当たってるバッターに、右左はほんま関係あらへんのじゃ、ボケ。
10回、アリアスがノーアウトで出たら、矢野に送りバンド。なんでや? 葛城代打で四球で1アウト1-2塁になっても、久慈、秀太、赤星で還せるわけがない。そこんとこを考えたら、矢野に打たせんかい。そして、秀太じゃなしに、そのまま今岡だったら、久慈は最低でも2アウト2-3塁にしてた。あ、そうなると、今岡敬遠だな(^◇^;)
11回、赤星がよく選んで四球。ずっとノーアウトでランナー出てる。赤星がランナーということで巨人は絶対にイヤな局面。ところがくその片岡はいきなり初球を3塁ファールフライ。日ハムに帰れ! じっくり、赤星でゆさぶったら苛ついて自滅しよんのに。ここでも9回の関本に代打を送ったのがいかにアホな采配だったか。片岡、金本、檜山で赤星は動けず。
そして12回。また、久慈、秀太、赤星の非力トリオにチャンスが回ってくるも、もう終わってるって、秀太がかろうじて四球でつないだけど、センターから右に打てない赤星じゃな。
まぁ、問題なのは、延長に入る以前に隅5で終わったふがいなさ。これではダメだ。今年?終わったよ。「終わった」と何度言ったことか。
あ〜野球好きでよかった。サッカーにトチ狂ってたら、気分悪いこと、この上なかったのだな。
ところできょうの野球の解説は、往年のT-Gのサード二人。ぷっ(失笑) 85年日本一は相手打者が内野を見回して吹き出したから、というのがわかるぜ。バース・岡田・平田・掛布。あのときのイケメンって真弓くらいか。真弓センターだったから見えへんもんなぁ。原と掛布、差がありすぎぃ〜。引退してからも並んでテレビに映って恥ずかしくないのか>掛布。あんた、ごちゃごちゃとうるさすぎなんだよ。途中で音声消して静かにテレビ観戦。
■本日の食事 朝:レズンパン1、コーヒー2 昼@吉野家:角煮丼(不味っ) 夕:焼きそば |
弔辞8月2日にあなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに、本当に残念です。
われわれの世代は赤塚先生の作品に影響された第1世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクター、私たち世代に強烈に受け入れられました。10代の終わりからわれわれの青春は赤塚不二夫一色でした。
何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていた時に、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫が来た。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。終わって私のところにやってきたあなたは、「君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住むところがないから、私のマンションにいろ」と、こう言いました。自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。
それから長い付き合いが始まりました。しばらくは毎日新宿の「ひとみ寿司」というところで夕方に集まっては深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。他のこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、いまだに私にとって金言として心の中に残っています。そして仕事に生かしております。
赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。麻雀をする時も、相手の振り込みであがると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしかあがりませんでした。あなたが麻雀で勝ったところを見たことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかし、あなたから後悔の言葉や相手を恨む言葉を聞いたことはありません。
あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折見せるあの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀の時に、大きく笑いながらも目からはぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺の時、たこちゃんの額をぴしゃりと叩いては、「この野郎、逝きやがった」と、また高笑いしながら大きな涙を流していました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。
あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。
今、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が、思い浮かんでいます。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外への、あの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。
あなたは今この会場のどこか片隅で、ちょっと高い所から、あぐらをかいて、ひじを付き、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に「おまえもお笑いやってるなら弔辞で笑わしてみろ」と言ってるに違いありません。あなたにとって死も1つのギャグなのかもしれません。
私は人生で初めて読む弔辞が、あなたへのものとは夢想だにしませんでした。私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今、お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の1つです。合掌。
平成20年8月7日、森田一義
10年前(99/08/22)のまごまご日記より転載加筆
そうこうしてやっとたどりついた浜田温泉。温泉の前ではいままさにばあちゃんたちの風呂端会議のまっさい中。みんなもう歯抜けなだけに噛みあわない、噛みあわない。話がまったく噛みあわない。人が言うたことなどなんも聞いとらん。ただ自分の頭に閃いたことを口に出すだけ。よこで聞いてる分にはそれはそれでむちゃくちゃおもしろい。番台のおばちゃんが「去年、えらい病気してなぁ」と言う。すると別のばあちゃん、いきなり「わしはサンドマメ嫌いや」
毛虫にやられた左腕はあいかわらず赤く腫れている。左腕だけやなしに体のあちこちに飛び火したように赤いプツプツができている。番台のおばちゃんに、毛虫に刺されて、と左腕を見せたら、「毛虫にはアロエがええ。ちょっと待ち、わたしとってきたるわ」と、玄関前の植え込みから十本ほどビニールの袋に入れてきてくれた。腕にアロエの汁をぬりたくってると、ばあちゃんたちがやってきて、うわ、ひどいな、アロエ塗ったらなんでも直る、と口々に言っている。「わしはサンドマメ嫌いや」
帰り際に番台のおばちゃんに、ありがとうと言いに行ったら、「島倉千代子、好きなんやぁ〜(^_^)」と、番台の中においた小さなテレビに向かって手拍子を打ちながら一緒に歌っている。♪〜〜 人生いろいろ。。。
もう10年も経ったけど、ばあちゃんたち、相変わらず風呂端会議をしてるのだろうか。