久しぶりに覗いた四角い世界は悪くない。撮らない間は次に撮るときの自分をいつも想像していた。だが結局どうせまた同じものであろう、という事がイヤだと思っていたが、こうしていざカメラを持ってみると写るものなど特に関係なかったし、何よりもそれらを持ち帰ることができるという行為がただ嬉しかった。壊れたと思っていたカメラなので写っているかどうかの確証はない。でもまぁ全部素ヌケでも特に困ることもない。道具などすぐ変えて、また明日も撮れればいいんである。
このスタンスに激しく同意。見せることを思案する以前に、撮るという行為。
元町に着くまでの間に1本撮りきる。前の残りからだから20数カット。元町に着いたら入れ替えようと。いざ、元町でフィルム入れたポーチを忘れてきたのに気づく。ちっ。デジタルがあるからいい。
タントテンポの「未来の写真」をテーマにしたサロンにパネラーとして参加。どんだけ言いたかったことが言えたやら。一番、思うのは、中平の「だがそのことは世界をあるがままに視つめることでなく、それどころか世界から眼を閉ざすことを意味したにすぎなかった。われわれの眼は眼窩の内側にひきつけられ、反転していた。」なのだが。プリントの質などそれはあとでどうにでもなる。乱暴な話、どうにもならないならプロのプリンターにまかせりゃいい。それより、「受動的」に受け入れてくるか、つまらない己の意識を排除して撮ってくるか。いくら演奏が上手かろうがつまらない音楽はつまらない。 ロラン・バルトのことばを借りるなら「写真が心に触れるのは、その常套的な美辞麗句、《技巧》、《現実》、《ルポルタージュ》、《芸術》等々から引き離されるときである。何も言わず、目を閉じて、ただ細部だけが感情的意識のうちに浮かび上がってくるようにすること。」その一歩として「撮れちゃった」上等。「シャッターを押す瞬間、撮り手がそこにこめるコンセプトやテーマ、ましてや半端な思想などは、その膨大な情報量の前に意味をなさない。(森山大道)」のだ。
どんどん塗り変っていくのがうれしくて。
ちょうど40年か。kozmic Bluesでひとり追悼。
おとといだか、現像タンクとかと一緒にフィルムローダー(ちゃんとフィルムローダーと書いておかなければ。単にローダーと書くと、ローターときれいに読み間違ってくれるから)をもらった。中にいくらかプレスト残ってます、ただし4年ほど前だからたぶんダメじゃないですか、と。とはいうものの4本巻けたし、昨晩、無理やり撮ってみた。それもかなり暗いところでばかり。とりあえず1本撮ってみた。 早くどんなもんだか見たくて、きょう即現像。案の定、ほとんどす抜けのようなネガ出現。元々まっ暗なところで撮ったから、す抜けてても仕方がないけど、増感するんだったかな。そのネガをスリーブに収めるべくカットするんだけれど、コマ間がわからんくらい。いちおうだいたいの長さで判断して切ったけど。さて。
あと3本あるけど、むちゃ撮りして、どうせなら高温でやっちゃお。
その素抜け同然のネガをスキャンしてみた。どんなもんだ、なはは。きっちりフィルムにキズ入ってるけど、そんなもんノー・プロブレムよ。何か? まぁ、ちゃんと増感しとけばよかったかな。案の定、カットの位置間違うてるし。いいの、いいの、細かいことは言わないの。また撮ればいいだけ。あ、写真って物理と一緒だな。松山師のことば「おおらかに。そして細心に」
Kが見に来てくれたのだが、詳しくはまごまご日記2010/10/06のほうへ。
南海で人身事故があったようで、ダイアが20分以上遅れている。とはいっても何本も来るんだから、遅れているというよりずれているというほうがあたっている。なのに、駅や車内で何度も何度も何度も「到着が遅れましたことを深くおわびします」と繰り返されても鼻白むばかり。言うとけばいいってもんじゃないと思うのだが、そうとしか聞こえない。
ようやっとのことで、遅まきながら『鴨川ホルモー』読了。 おもしろかった。で、片づけていいんでしょかw えっと、万城目クンは中学生の時にヤモが出した課題「風が吹けば桶屋が儲かる」で1等賞になり、それがきっかけなのか、文章を書き始めたらしいのだが、『鴨川ホルモー』に出てくる文章というか、展開のさせ方、いやちがうディティールだね、文章の端々にヤモ(あるいはボクも含めた一団)の影響が色濃ゆくて、ボクはヤモをよく知ってるだけに、そのあたりがとてもおもしろかった。まぁ、裏読みしちゃってんですよ。前半のクライマックスで出てくるレナウン娘なんて、万城目クンの親からなのかなぁ。 個人的には「安倍のアホッ」から「きのうの晩、腹立つことがあったから(眼鏡を)割った」って流れが好き。「ホルモーぉぉぉぉぉ!!」
なんか、リストアップしてみたけど強烈だな。重い。。。
焼けて茶色くなった『悪の華』あ、なんと舊字舊かなだわ、素敵。ぱらぱらと見たら、万年筆で傍線入れてんのな。恥。
こんなん女も知らん高校生が読んでもわかるわけなかったやん。
ウォホールが製作で何か絡んでたかと思ったけど、そうじゃなくてウォホールが絶賛したってだけ。まぁまぁかな。ブルーフィルムを一家で鑑賞w その中に出演していた女が現実に?現れてと、幾度もそのブルーフィルムが挿入されて。まぁ、一般的にはおすすめはしませんw
「ひざの上はおねえさんのほうがずっといいよね、カメラより」(43:17)
酔っ払いオヤジから電話。ORPの全国オフ、今年も伊那北でやってると。全国オフ行ったの最後はいつのことやら。もうずいぶん昔のような。バイクも下りたし、クルマもないし、誰か積んでってくれたら行けるかもだけど。よっ払いが「来いよ」とうるさい。「金ないから行かれへん」と答えると、「なんだ、元気がないな。前はあんな元気だったじゃないか。」と。いや、元気の方向が変わっただけなんだって。
知らん間に過ぎてた。ちゅうか、寝てたよ、その時間。
来週からの展示の準備してたら、K本さんがやってきて、木津大橋に撮りに行くというから、作業ほっぽりだして、ちょうど帰ろうとしていたM山さんと3人で木津大橋へ。とりあえず千本の渡に車を駐めて、渡し場のあたりからちょちょっと撮って、ちょいと目を離したすきに2人はいない。まだ渡し場におるんかと見に行ったのだが姿は見えず。ひょっとして2人して橋の上に歩いて上がったか。このご時世、車をほっぽりだして、ボクも上に上がることもできず、車の近くでちょこちょこ撮ってのだが、それにしてもいつまで経っても2人は戻って来ず。疲れたので車のそばでホームレスよろしく座り込んで居眠りしてたよ。「ただいまぁ〜、ああ、気持ちよかった」をい。まぁ、でも橋の写真より、上にアップした写真のほうがボクは好きだったりして。
太陽は東から上がって西に沈むんだよ。だからこっちが西でこっちが東。南はこっちになるから、そおの反対の北がこっち。あの太陽の沈むほうが田辺で、だから大阪、京都は西 は?
あら、いま調べたら、去年は10月11日に食うとるね。やっぱり「さんま苦いか塩つぱいか」と言いながら。
そんで谷崎と佐藤の間の「細君譲渡事件」のことでも書こかいなと思ったけど、なんやややこしいね。1921年8月の「小田原事件」直後の10月にこの「秋刀魚のうた」が発表されて、1930年の「細君譲渡事件」で、めでたく結婚するんだけれど、その間の24年に、別の小田中タミと結婚、30年に離婚して、この千代と結婚というんだから、なんとまぁ劇しいこと。そのあとはこんな紆余曲折を経て「譲渡」してもらったからか、尻にひかれてたらしいけど。 谷崎のほうの女性関係は、もっともっと複雑怪奇。太刀打ちできません。というかさ、「芸のためなら女房も泣かす」ってんじゃないけど、そうした色恋ってのは何にも必要だと思うんです。文学に限らず、写真もそうなんだけど、そのために恋愛する必要はないけれど、恋愛もできない人間の作品ってつまらないなと感じてしまうのでした。
ねこまんまに玉子を落としてぇ〜って言うから、を、そりゃいいねぇと答えたんだけど、何か話が違う。それでよく聞くと、ご飯に味噌汁をかけるって。をい、そりゃないだろ。ねこまんまというのは、ご飯にかつお節削ってかけるんだって。そりゃないだろって、ツイッターで聞いてみると、ご飯に味噌汁というのが結構いる。なんでだ? 猫はご飯に味噌汁かけたのなんか食わんぞ。猫も食わんねこまんまなんて絶対に認められませんよ。そりゃ、いぬまんまだろ。これだけは絶対に譲れない。
ある人が誰だったかもう忘れたけど公式RTしていて、ぱっと読んでもっともらしいので、ボクもつい公式RTしてしまった。が、してしまってから読むと「写真表現」うんぬんかんぬんで、「なぁに言ってるんだか」というようなツイート。急いでRTを解除したけどね。なんだかほんとしんどいのが好きなんかね。しんどいのがアートだ、ゲージュツだって、しんどい病じゃないか。 前に、石内都が森山大道に「そんなつっぱってしんどくないか」と言われたというのを石内都自身から聞いたことある。すごく印象的な話で忘れられない。写真に真剣になれってさ、なんぼのもんよ。そんなヤツいたら、後ろ向いて舌出しといてやればいいのよ。ぷ。 そんでね、とか言いながら、写真するときに、何も考えてないかというとそうでもなくて、被写体(人に限らず)との距離だけは意識してる。それが自分にとってのピント。そんなピントも合わせずに、レンズのピントだけ合わしたって何になるんだって思うの。レンズのピントなんかどうだっていい(合ってるにこしたことはないけどさw
flickrを始めてすぐにgroupでOsakaをつくった。まぁ、最初の頃はちょこちょこ見てたのだけれど、最近はほりこみはしても見ることなんかほとんどなかった。つまりここ2,3年は放置状態^_^; ところで、同じflickrのgroup大阪画をスタートさせるときのヤーサキさんらのdiscussionを見ていて、ちょっと自分のOsaka groupを覗いてみた。post数の多い順に5位まで表示されているのだが、これまで当たり前のようにボクがtopだったんよ。ところが、なんと3位に落ちているじゃないか。って、別にtopでなくてもいいんだけど、topのどんなのをアップしてるかと見に行って呆然。こういったら何だけど、強烈に酷いよ。もうどう酷いかは、くどくど言わないけど、唖然としてしまって、アドミン権限で削除しまくり。結局2000枚ちょいあったとこから500枚も削除。で、現在第2位に下ったかな。dugspr~~って、おっさん。 サムネールだけれど2000枚一通り目を通したんだけれど、そのうちに写真って何だろうと考えさせられる。例えば、大阪城の説明の看板の類を懲りもせずに撮ってるのだが、それも記録っちゃ記録よね。それから、2000枚がいかに多いかというと、flickr始めてもうすぐまる6年になるけれど、総post数が5000ナンボ。dugspr~~って、おっさん、Osakaにpostしただけで2000。どわぁ〜4年間で42000postかよぉ。いつも「量が質を凌駕する」なんて言うてるけれど、ただ撮ればいい、見せればいいってもんじゃないよなぁ。う〜〜ん。いや、ほんまに写真ってわけわからなくなってきた。シャッター押せば何とでも写るだけにタチが悪い。とくにいまのカメラは。ちなみにおっさんはCanonのG10。いや、なかには、あ、そういう視点ってあるんだなと思えるのもあるにはあるのだけれど、しかし。。。
この前タントテンポで会った徳平さんが来てくれて、『都市の断片』をおみやげにいただく。ポジで撮られたビビッドな写真は、ずばりツボ。無性にカラーで撮りたくなる。大道さんやエグルストンから離れようとしたんですがと言うのだが、それはそれ、いいものはいい。
そこで例えばあなたが写真を残したとしても、その事物としてのたこフェリーの寂しさは写っても、あなた自身の寂しさは写らない。なぜならあなたには重なる過去の思い出が無いからだ。しかし時が経てばその事象の記録として写真は違う価値を持つだろう。それが記録。気持ちは変わるが記録は変わらない。
これはきのうの某氏のツイート(すでに削除済み..w)だけれど、明石海峡のたこフェリーが廃止になる。その前にどっと鉄ちゃん類いのおっちゃんカメラマンが群がるんだろう。 たこフェリーにはボク的にはそう思い入れがあるわけではない。が、青函連絡船となると、そうも言ってられない。そしてその記録がボク自身に甘い揺さぶりをかける。さて、どうする、11/15まで。
いろいろと話してるうちに、自分でアホみたいに真っ正直すぎるんじゃないかと思えてくる。おおかたの者にとって写真なんて、しょせん、生きてる上での道具、たとえば女を口説くとかさ、みんなにあれこれかまってもらうためとか、そんなひとつの手段で写真やってんじゃないかと、寒い気持ちになる。さみしい話だけど。あ、百恵の歌にあったね
やっとのことで、ヤフオクに出品してたのが売れた。よっぽど捨ててやろうかと思ってたのだが、ただ捨てるというのもイラつくのでずっと再出品し続けてたんよ。時には36875円などという法外な値を付けて、値引き交渉ありにして、なんぼでもいいと弄んでもみたのだけど、はははっ、1円でめでたく落札されました。同時に、なんでこんなの買ったんだというヒップホップのCDが11円にてこれまためでたく落札。この2点、ずっと困ってたんよね(苦笑) さて、なんでイラっと来たかというと、あとがきに、誰それに感謝とよく書いてるんだけれど、何をとち狂ったのか、「出版社には別に感謝していません」をっと、なんという高飛車な。そんなことは大文豪でも書かんでしょ。オレはくだらねぇ物書きだと自ら表明してるようなもんです。それだけでなく、あとがき全体が、あんた何様なんよいう調子で、まぁ、最初にあとがき読むのがアカンのかもだけど、ちらっと読んでつまらなくて、ぱらぱらとめくったら文章すこすこだし、こんなんでどの面さげてこんなあとがき書けるんだろって、まぁあんまり気分よくなかった。本棚から消えてくれてホッとしたよ。てか、意地はってないで、捨てなさいよ>自分
「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」
某クンのツイート 《僕のセンチメンタリズムをギュッと握られたい。》
いいねぇ、このフレーズ。どっかで使えないかしら。というわけで、きょうはビックリサプライズでうれしかったりして。そして遅い目にN村さんがやって、なぜかまた熱く語る。きのうはサイトーさんとやし、なんかここ最近熱く語り過ぎちゃうやろか。男は黙ってアリナミンV
急に寒くなった。みんな「寒い寒い」が挨拶みたいな、いや、いきなり冬って感じ。ほんとの冬はもっと寒いんだけど。
で、思いだしたのが、40年前、たぶんちょうど10/25だったような、北海道で初めて冬を迎えるんだけれど、もちろんきょうの大阪なんかよりはるかに寒いよ。それでも早く雪が見たくて、札幌からもっと北に行ったら雪が見れるだろうと、浅はか単純な考えで、徹夜明けの朝6時過ぎの各停に乗って稚内まで12時間の汽車の旅。稚内に着くまでいろいろあるんだけど、それはいまは割愛して、稚内に着いたら、すっかり日が暮れて暗い町中をYHさがしてとぼとぼ歩いたって思い出。冷たいみぞれが降ってたな。結局この1泊の旅で雪は見れなかったんだけど。 あれは何年目の冬だったかな、11月1日、大通り公園でスライディングしてたよなぁなんてこと思いだしてたのです。しかし寒いね。
ぼくはうまれつきナマケモノでね、毎日ほどんどボケッとしてるわけ。 変な言い方だけどさ、ぼくはボンヤリしてるときほど生き生きしてるのね。 だからフリーカメラマンなんてどっかエタイの知れないありようはすごくぼく向きでさ、けっこうのんのんと気に入って遊んでるわけ。 それはやっぱりね、いつまでたっても写真てなんだか面白いしね、べつにそれほどほかに気を引かれるってものものないからね。 フッと気が向くとカメラ持って街ほっつき歩いちゃパチリパチリとやってはスナックなんかでボーッと水ワリ飲んでんの。それで夜なんかフイとその気になると暗室に閉じこもってね。仄赤い電灯の下でジワジワ浮かんでくるいろんなイメージを眺めてるわけ。ぼくの場合どうもとめどなく写真と生活とがゴッチャゴッチャになっちゃってさ。生活のなかに写真があるのか写真のなかに生活があるのか、ま、どっちも同じでどうでもいいんだけどね。だからぼくの日常で言えば、コンスタントに作品の制作にいそしむとか、ひたむきに対象に立ち向かうとか、バンバン依頼仕事をやりこなすとか、そんな感じとまったく無縁なのね。で、つまり、結局ぼくには職業って意識とか仕事っていう観念が決定的に稀薄なわけ。さっきも言ったけど、ぼくは本当にナマケモノだからね。ナマケるだけナマケて生きていたいってのが終生のテーマだね。どうもぼくには、勤勉で前向きな芸術家だとか、明快で確固たる主観をもっている作家だとかうさんくさくてね。それはまぁ人それぞれだろうけどね。一応立派だなぁとかスゲェーなぁとかつい騙されそうな人もいるけど、やはりぼくには無理だよね、そんなの。それから日ごろいろいろ思ったりするんだけど、やっぱりぼくなんかどうあれ遊んでるわけね。遊び人。写真とかかわろうがかかわるまいがとにかくすべて遊びね。ぼくはどういうわけかたまたまカメラなんか持つようになっちゃったけど、本当は登山家かコメディアンになりたかったのにね。 で、ま、それでカメラなんか持ってそのへんウロウロしてるうちに、ついついそのセンにかかわってしまうことになって、そうすると次にまたついついそのヘンにこだわりができてしまったりしてね。そんなこんなで右往左往しているうちにアッというまに何十年も遊んできてしまったって感じだなぁ。でもまぁ、たまたまにせよぼくにはカメラってモノがあったから、さして面白くも無い世間でも、なんとかそれを使って自分自身を面白くしてきたってことはあるよね。ちょっとばかりいいわけすれば、遊ぶんだって多少の決意や技術はいるわけだからさ。たとえば、いまぼくはこの渋谷の坂の中途のビルに部屋を借りて、その一室で小さなプライベートギャラリーを作っているけど、これだってぼくにしてみればささやかな遊び場でね。新宿の飲み屋のトイレなんかでフッとひらめいたりしたときに、とにかくすぐにこの壁面を使って展覧会らしきものを開いて、知人や友人たちを読んで遊びに来てもらったりすることができるんだよね。それから、ぼくが二年前から借りているパリのアパートにしても、あの四階のスペースがあると思うから、ぼくみたいな面倒くさがりでも気軽にヒョイヒョイ出掛けて、それを拠りどころにヨーロッパの街角なんかでナマケていられるのよね。さっきもちょっとテーマのこと言ったけど、もともとぼくには写真的テーマにしろ生活的テーマにしろ、そんなものほとんどもってないわけね。ま、ミもフタもなく原則を言ってしまえば、ぼくがいまここでこうやって生きていること、それだけがさしあたってのっていうか、抜きさしならないっていうか、唯一のテーマなんだよね。それで、その時間のなかでゆくりなくも写り込んでくるものが結局ぼくにとっての写真てことね。それも、ぼくは自分で自分のみたいものをっていうか、自分に向けてっていうか、そんなふうに、そんなものばかりしか撮ってないから、ぼくの写真って、つまるところきわめて私的なメモにすぎないわけね、いわゆる日記だよね。だから東京にいてもヨーロッパにいても東南アジアに行っても、ぼくにとっては行った先にテーマがあるわけじゃないし探すわけもなくて、たまたまそこにいる僕の気持ちとその周辺だけが重要なキーワードなのね。そんなときに、その場のものごとやなんかに突如ダダダと熱中して写してしまったりしてね。そして持って帰ってしばらくすると、また急にプリントしてみたくなったりしてドドドッとやるわけ。まず自分でワクワク眺めて所有したくってね。なんだか自分でもよくわからないんだけど、水のなかでヌレヌレしている自分のプリントのイメージにときめいていたりしてね。もちろんほかの人に見せたい見てもらいたいって気持ちがないわけじゃなんだけど、何がなんでもって感じじゃないね。ともかく自分ね。だからさ、偉そうに言えば、他人さまには、ま、ついでに見せてあげるよって感じだね。それでね、そんなふうにしばらく遊んでいるとまたフイと飽きてきちゃってね。気が付くとノンベンダラリとナマケ世界に入っちゃうわけ。だからぼくと写真との付き合い方って、いつも衝動的で無計画で気まぐれなのね。だって仕方ないよね。タコの足じゃあるまいし、自分のやってることいちいちプツプツと区切って生きていけないよ。もっとこう長いスパンでさ、デレデレいろんなことやってみたいよね、どのみち遊び人だからね。遊びに完成とかってないしさ。そしてどうしてもぼくの写真がほしい、どうしてもぼくのプリントを買いたいって人だけを相手に細々と商ってさ、そのお金で1分でも長くボンヤリ過ごしていたいね。でも、こんなことしゃべっていられたり、こんなふうに生きていられるってこと自体かけがえのない時間なんだよねきっと。カメラなんかぶら下げていつまでも遊び呆けていられるといいんだけどね、写真面白いからさ。 「森山大道の視線」「プリンツ21」 1991年1月号
「森山大道の視線」「プリンツ21」 1991年1月号
某氏が自分で入力したのか、同じナマケモノのくせして、こういうことになると、妙にマメ。どうせまた削除するんだろうし、もったいないから、こっちに引用しとこ。 しっかし、この話っていいよね。「遊びに完成とかってないしさ」で、「カメラなんかぶら下げていつまでも遊び呆けていられるといいんだけどね、写真面白いからさ。」てもうたまらないでしょ。こないだustで、大道さんは「僭越だけど、ウォーホルって兄弟みたいなもん」と言ってたけど、こういう話を読むと、僭越ながら大道さんってアニキみたいな気がする。ヤバい写真、撮ってたいから仕事やめて、遊びほうけてんだから。偉いもへったくれもない。四六時中、カメラもって遊んでたいから、がっこの教師なんてバカくさくなったから、辞めただけやん。辞めるのもこの先どうなるか目算ついたから、早い話がズルいんだよ、カッコよくもなんともない。 ほんと。どうでもいいんだよ、ごじゃごじゃとうるさすぎる。
これもいつ削除されるかわからんから、削除されないうちにもらっておこう。
ぼくに、思考、思索、思想などいっさい向いていない。 日ごろから物事を考えないようにしている。 だいたいこの世のことは、考えても仕方のないことか、考えるまでもないことかのどちらかだ。 まぁ人間、生きていれば、起きていれば、いや寝ていても、否応なく四六時中、脳髄も五感も六感も、ぐったりするほどチラクラ働いているわけで、もうこれで十分ではないか。 ものを考えないとオバカサンになるなどとよくいわれるが、考えなければやっていけない人などもともとオバカサンで、ホラよく、ヘタな考え休むに似たり、というではないか。 昔パスカルは、人間は考える葦である、などとつまらんことを言ったし、ロダンなど「考える人」などという不気味なシロモノをデッチ上げた。 まぁ昔は、そんなことをいってりゃァすんだのだろうし、考える事、イコール、深遠という図式が成立したよき時代だったのだ。 しかし、哲学などというエタイのしれないものが解体してしまったいま、考え込んでいても、グッドアイデアなど出てくるわけがない。 つまり、イモを掘ってりゃ報われるってもんじゃないのと同じで、考えてりゃすむってもんじゃないわけだ。 人間は直感と実行あるのみ。世の中、そんなにむずかしいことなんてねぇってば、というのがただいまのぼくの考え。 人が、何事かをじいーっと考え込んでいる図なんて、考えただけでおっかない。 モリヤマさんは、モリヤマさんの写真は、そしてその写真そのものは、今後どうなるのですか?と、しばしばぼくはひとから問われる。現にいまだって、目の前にいるひとからそう問われている。 つまり、ぼくと写真の、この先の計画や展望、そして写真の将来に付いて聞かれているわけだが、ついさっき記したように、ぼくは「考える人」ではないのだから、そんなことはまったくわからない。 だいたい、オレは写真家でござい、などとしゃっ面さらして生きていること自体、もともとフロックみたいなもので、本当はコメディアンになりたかっただけだ。 それでも昔は、若気のなんとやらで、暗い目をして写真とは?オレとは?オレと写真とは?なーんてふうだったが、いま思えば、頭から灰をかぶって寝てしまいたいというか、穴があったら木に登りたいというか、恥ずかしい。 そんな、目の前に心理のぶら下がってるようなことを考えてるヒマに、もっと撮ってりゃよかったのだ。 だいいち、真理とか真実なんてあるわけもなく、あるのはド現実だけで、もうこれだけで手いっぱいだ。 つまり、写真とは?とか、これからの写真は?などと、ゴマメの歯ぎしりをしているから、写真が遠くなってしまうし、写真がダメになっていく。 このところ、なんとなく写真がアート志向らしいが、バカを言っちゃいけないよ。写真が、カメラマンがアートなんぞを志向したら、それはもう、自殺だよ。 アートの連中が、カメラを使うのは勝手だけど、カメラマンが、カメラ使ってアートするなよ。それこそ、自由のハキ違いってものだ。 言いたかないけど、カメラマンはバカが多いから、ノミの脳ミソほどの頭と、セコい小手先使って、たいそうなものを作ったつもりのシタリ顔だが、おまえさん、黄色いアンヨがみえてるゾ。 だいたい写真に、創作とか、創造とか、そんなものはないのだよ。 だから、カメラマンには、世間を複写する職人としてしか、生きてく道はないわけだ。 この程度のことさえわかっていれば、写真の明日だの、明日のぼくだの、そんなことどうだっていいわけで、どうにかなる以外、どうにもなりゃしないのだ。 たとえば、カメラやフィルムや、写真に関するいっさいが、どんどんテクノ・デジタル化していったところで、仮に写真がそっくり消滅してしまったところで、僕は全然困らない。 どうせ、そんなものについていく気などはじめからないし、もともとコメディアンになりたかったのだ。 もし明日、カメラとフィルムが消えていたら、ぼくは四谷三丁目に住んでいるから、ドトールでコーヒーを飲んでから、セイフーか丸正に行く、そして、お酢と卵をしこたま買って帰り、その酢と卵白とを調合し、ボール紙か布切れに塗って、感光材を作る。 そして、その上になんでもいいから、そこらへんのものを適当に乗っけて、お日さまの下に持って出て、ぼんやりタバコなど吸いながら、じっくりと焼付けの終わるのを待っている。 これでもう、あの昔なつかしい日光写真ができるのだから、ジタバタ騒ぐことはない。 つまり、時代と逆行して、ニエプスのころまで帰ればいいのだ。 となれば、もう何事も考えることもなければ、ややこしく掘り下げることも、未来も予知もない。 でも、こんなことばかり記していると、アンタ、なにを前世紀の化石みたいなことばかり言ってんの、といわれそうだが、まったくそのとおり、だからぼくは日ごろから、写真は光と時間の化石だ、と言ってるわけ。 おしまいに、「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい」という、ぼくの大好きなフレーズを、どうぞ。 「プリンツ21」 1997年 秋号
「プリンツ21」 1997年 秋号
twitter始めてもうそろそろ1年だってのに、@のルールわかってなかった。別にたいしたことないんだけど。つまり HogeA(発言者) @HogeB(リプライ先) うじゃらくじゃら・・・・・ というツイートがあったとする。
ふ〜、ややこし。フォローしているHogeA(発言者)のツイートが全部流れるんだと思ってた。そのほうがすっきりするのに。話の流れを読むためには、いちいちhttp://twitter.com/HogeAを見ないとアカンのね。まぁ、逆にウザいのは見えないというメリットもあるね。で、誰に見られても困らんようなリプライの場合は、どうせ個別のTLを調べたら見えてしまうんだから、「@HogeB」とするより、積極的に前に「.」でもつけて、「.@HogeB」とする裏技でも使ったらいいかもです。
どういうわけか、昔からシュークリームのカスタードはちゅうちゅう吸い出して、シュー皮だけをバクッと食べるのが好きなんですよ。なんでだろw きょうもそのようにシュークリームを食べていると、ミッシーがくれくれとやってきて、だいぶカスタードをとられた。が、ボクはそのあとのシュー皮だからw ちゅうわけでぴぃちゃんもあんあんもやってきて、みんなでくれくれにゃぁぁ。え?二匹しか写ってませんって、おかしいなぁ、3匹おるはずだけどw
これじゃ、黒くてあんちゃん見えんと言うと、じゃバックを白にしようとそこらの紙をバックにするキャサリン(偉大
予定が変って急きょ暗室。次の町猫用に4枚。さっさと焼く。そしてあと1枚。