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20021027 Sunお嬢様テニスの見張り寒かったぁ〜(>_<) きょうは今月のお徒歩の日だというのに、それに行けないで朝も早よからお嬢様テニスの見張り。あっさり負け、だってお嬢様だから動かんもん。手ニスやなしに足ニスなんだから。 晩ぐぁんTon2が金曜から帰ってきてる。というわけでもないのだが、一家4人揃って家での夕食というのは何年ぶりのことか、ってたぶん忘れてるだけのことなんだけど。最近はずっと自分の家で晩ご飯食べてないから(じゃ、どこで食ってんだ、愛人宅か)、自分家で食うのって妙に新鮮 次はいつのことやら
20031027 Mon◆ 吉行淳之介『砂の上の植物群』(1964 文藝春秋 / 新潮文庫)これが中平康監督で映画化されたのはボクがまだ中学生の時。そのころ、『砂の女』、『砂の器』というふうに、やたら《砂》というのが目についた。当時の中学生にとって非常に扇情的だったのが、印象に残っている。親父の本棚から『砂の上の〜』をこっそり抜き出してきて、乳房を力をこめて掴むと、乳汁が流れ出した、などというのにはひどく興奮していた。あとの2つはそれから何年か経って映画で見たし、本も読んだ。ところがどういうわけか、一番興奮していたはずの『砂の上の〜』の映画も見ずじまいだったが、やっとのことで読んだヨ。 やっぱりガキの頃に獲得してしまった性癖のせいか、ひどく興奮する。ストーリーとしても抜群だし、その1ショット1ショットのボカシの効いた鮮烈さはたまらない。こう書くと、映画みたいに思えるけど、あくまで文章のほう。いったい吉行の文章表現ってのは映画以上に映画的だ。 昔の映画もどっかで頑張って捜しだしてきて見たいけれど、誰かつくらへんかなぁ。映画以上に映画的な小説を映画化するのはむちゃ難しいとは思うけれど。 そして、いつものように、ぽんとほおり出されるのだった。 ※ その中平康監督の『砂の上の植物群』は、《中平康レトロスペクティヴ》の1つとして11/11, 12 15:00 渋谷ユーロスペースにかかるらしい。いいなぁ、東京は(゜゜) イン・ベッド9時過ぎに目が覚めはしたけれど、そのままベッドから抜け出せないで、『砂の上の植物群』を読みきる。するとまた静かに眠る。ふっと目が覚めて、また『樹々は緑か』(『砂の上の〜』のデッサン)を読みながらまた眠る。ふっと目が覚めて、また『樹々は緑か』を読みながらまた眠る。ふっと目が覚めて、また『樹々は緑か』をやっと読みきったら、しゃきっと目が覚めた。昼の1時過ぎ。 本日のタイガース('_;)はい、ご覽の通りでございます。ほんとダイエーは強いよ。きっちりダイエーの野球をやられて、タイガースの野球やらしてもらへんかったからな。 ボク的には、こないだも書いてたように、2勝4敗で負けると予想してたから、シリーズに入るまで、いや、シリーズに入ってからも、いまいち燃えなかった。それは冷静に考えたら、7月までのタイガースなら4勝1敗とかで勝てただろうけれど、8月以降のタイガースは戦力的にダウンしてたから、現段階ではダイエーのほうがずっと力は上だったもんね。 2日連続のサヨナラで俄然燃えてきたけれど、やっぱり第6戦ですか。ダイエーにダイエーの野球を思いださせてしまった。そんなところかな。MVPは杉内だって、ボクは川崎だと思うで。6,7戦のダイエーの得点ほとんどに奴がからんでた。王監督は長打力に差があったというけれど、赤星を抑えきって走らせなかったダイエーと、いとも簡単に川崎を塁に出してしまったタイガースの守備力の差だね。それにしても福岡Dの内野、よく撥ねるな。 まぁ、お疲れ、お疲れ。
20041027 Wed[news] 中越地震 ワゴン車から男児救出、母親は死亡まる4日間、土砂崩れに埋もれたワゴン車の中から2歳の男の子が生存。でもお母さんは救出されたものの死亡。3歳の女の子は未だ不明。 [cine] まごれびゅ アラン・タネール『ローズヒルの女』 (1989 仏,スイス) ★☆あまり見てたのしいものじゃない。 [site] AmazonAmazonのアソシエイト・プログラムに登録した。なんでもうちのリンクからAmazonに行って買うとペイバックされるらしい。買え!
20051027 Thuお好み焼きFlickrにお好み焼きってグループがあるんだけど、どれもこれも不味そうなんばっかり。もう少し美味そうなお好み焼きってのあるだろうに。よくもまぁあれだけ不味そうなんばっかりアップするなぁとあきれ返る。別のところにデパ地下寿司、アップしてあったけど、よっぽどそのほうが美味そうだわ。だいたい最近のデパ地下寿司はバカにできんからねぇ。それに比べて、お好み焼きはやっぱり鉄板の上で食わんとアカンでしょ。 20071027 Sat《町猫》準備もうこんな時間、夜中の3時前だよ。まだギャラリーです(^_^; ちょっと気合い入ってるでしょw あのですね、自分のだけならいいんだけど、今回はもう外用の掲示とか、ネームプレートとか、イラレ仕事はヘタなだけにヒマがかかる。
やっとこさ、自分の展示も固まりまって、プリント乾かし中、なんていおうと銀鉛みたく聞こえるが、インクジェットですよ。結局、外出?ン?egbridge、きょうアップデートしたとこなのに、なんで? まぁ、いいや、ガイシュツちゅうか、flickrでアップ済みは、DMのふてぶてしい阪神高速猫を含めて3点。でもそれらもプリントはお初天神です。残りはじっとガマンしてたのとか、隠し玉とかw とりあえず、全部で11点。 20091027 Tue山口清一郎『恋の狩人 ラブ・ハンター』 日活がロマンポルノ路線に移行して、6回目の配給だったとか。そして72年初めに、猥陳だかで、この『恋の狩人』が摘発されて、皮肉なことに、この摘発で日活ロマンポルノが公に認知された。ボク自身で振り返ってみると、ロマンポルノを初めて観たというのはこの後だったか、あんまり定かでない。ときどき、オークラやら新東宝のいわゆる成人映画を見には行ってたが。たぶん記憶では、ふっと新宿で時間つぶしに見たのが最初だったか。田中真理が出ていた。それまでの成人映画にはこんな美人の女は出てなくて、ボクもそれで一気にロマンポルノのファンになったのだが、それが、何だったか、ほんとに覚えていない。どんな映画だったかさえ記憶にない。ただ田中真理が出ていたということだけ。 wikiの日活ロマンポルノ作品一覧で、調べたんだけど、ボクのロマンポルノの見始めは、確かもう1本には片桐夕子が出ていて、とすると『濡れたハイウェイ』と『花ひらく夕子』だろうけど、その時期71年年末に新宿に行ってないんだよ。新宿が間違いなければ、72年2月のたぶん『しなやかな獣たち』。このとき新宿にいたのは確か。もう一本が片桐夕子というのは間違いかな。中川梨絵だね。うん、このときしかないはず。ということは『恋の狩人』の一件で、スケベ心がそそられたってことですねw 20101027 Wed「日々是遊日」 Daido Moriyamaぼくはうまれつきナマケモノでね、毎日ほどんどボケッとしてるわけ。 変な言い方だけどさ、ぼくはボンヤリしてるときほど生き生きしてるのね。 だからフリーカメラマンなんてどっかエタイの知れないありようはすごくぼく向きでさ、けっこうのんのんと気に入って遊んでるわけ。 それはやっぱりね、いつまでたっても写真てなんだか面白いしね、べつにそれほどほかに気を引かれるってものものないからね。 フッと気が向くとカメラ持って街ほっつき歩いちゃパチリパチリとやってはスナックなんかでボーッと水ワリ飲んでんの。それで夜なんかフイとその気になると暗室に閉じこもってね。仄赤い電灯の下でジワジワ浮かんでくるいろんなイメージを眺めてるわけ。ぼくの場合どうもとめどなく写真と生活とがゴッチャゴッチャになっちゃってさ。生活のなかに写真があるのか写真のなかに生活があるのか、ま、どっちも同じでどうでもいいんだけどね。だからぼくの日常で言えば、コンスタントに作品の制作にいそしむとか、ひたむきに対象に立ち向かうとか、バンバン依頼仕事をやりこなすとか、そんな感じとまったく無縁なのね。で、つまり、結局ぼくには職業って意識とか仕事っていう観念が決定的に稀薄なわけ。さっきも言ったけど、ぼくは本当にナマケモノだからね。ナマケるだけナマケて生きていたいってのが終生のテーマだね。どうもぼくには、勤勉で前向きな芸術家だとか、明快で確固たる主観をもっている作家だとかうさんくさくてね。それはまぁ人それぞれだろうけどね。一応立派だなぁとかスゲェーなぁとかつい騙されそうな人もいるけど、やはりぼくには無理だよね、そんなの。それから日ごろいろいろ思ったりするんだけど、やっぱりぼくなんかどうあれ遊んでるわけね。遊び人。写真とかかわろうがかかわるまいがとにかくすべて遊びね。ぼくはどういうわけかたまたまカメラなんか持つようになっちゃったけど、本当は登山家かコメディアンになりたかったのにね。 で、ま、それでカメラなんか持ってそのへんウロウロしてるうちに、ついついそのセンにかかわってしまうことになって、そうすると次にまたついついそのヘンにこだわりができてしまったりしてね。そんなこんなで右往左往しているうちにアッというまに何十年も遊んできてしまったって感じだなぁ。でもまぁ、たまたまにせよぼくにはカメラってモノがあったから、さして面白くも無い世間でも、なんとかそれを使って自分自身を面白くしてきたってことはあるよね。ちょっとばかりいいわけすれば、遊ぶんだって多少の決意や技術はいるわけだからさ。たとえば、いまぼくはこの渋谷の坂の中途のビルに部屋を借りて、その一室で小さなプライベートギャラリーを作っているけど、これだってぼくにしてみればささやかな遊び場でね。新宿の飲み屋のトイレなんかでフッとひらめいたりしたときに、とにかくすぐにこの壁面を使って展覧会らしきものを開いて、知人や友人たちを読んで遊びに来てもらったりすることができるんだよね。それから、ぼくが二年前から借りているパリのアパートにしても、あの四階のスペースがあると思うから、ぼくみたいな面倒くさがりでも気軽にヒョイヒョイ出掛けて、それを拠りどころにヨーロッパの街角なんかでナマケていられるのよね。さっきもちょっとテーマのこと言ったけど、もともとぼくには写真的テーマにしろ生活的テーマにしろ、そんなものほとんどもってないわけね。ま、ミもフタもなく原則を言ってしまえば、ぼくがいまここでこうやって生きていること、それだけがさしあたってのっていうか、抜きさしならないっていうか、唯一のテーマなんだよね。それで、その時間のなかでゆくりなくも写り込んでくるものが結局ぼくにとっての写真てことね。それも、ぼくは自分で自分のみたいものをっていうか、自分に向けてっていうか、そんなふうに、そんなものばかりしか撮ってないから、ぼくの写真って、つまるところきわめて私的なメモにすぎないわけね、いわゆる日記だよね。だから東京にいてもヨーロッパにいても東南アジアに行っても、ぼくにとっては行った先にテーマがあるわけじゃないし探すわけもなくて、たまたまそこにいる僕の気持ちとその周辺だけが重要なキーワードなのね。そんなときに、その場のものごとやなんかに突如ダダダと熱中して写してしまったりしてね。そして持って帰ってしばらくすると、また急にプリントしてみたくなったりしてドドドッとやるわけ。まず自分でワクワク眺めて所有したくってね。なんだか自分でもよくわからないんだけど、水のなかでヌレヌレしている自分のプリントのイメージにときめいていたりしてね。もちろんほかの人に見せたい見てもらいたいって気持ちがないわけじゃなんだけど、何がなんでもって感じじゃないね。ともかく自分ね。だからさ、偉そうに言えば、他人さまには、ま、ついでに見せてあげるよって感じだね。それでね、そんなふうにしばらく遊んでいるとまたフイと飽きてきちゃってね。気が付くとノンベンダラリとナマケ世界に入っちゃうわけ。だからぼくと写真との付き合い方って、いつも衝動的で無計画で気まぐれなのね。だって仕方ないよね。タコの足じゃあるまいし、自分のやってることいちいちプツプツと区切って生きていけないよ。もっとこう長いスパンでさ、デレデレいろんなことやってみたいよね、どのみち遊び人だからね。遊びに完成とかってないしさ。そしてどうしてもぼくの写真がほしい、どうしてもぼくのプリントを買いたいって人だけを相手に細々と商ってさ、そのお金で1分でも長くボンヤリ過ごしていたいね。でも、こんなことしゃべっていられたり、こんなふうに生きていられるってこと自体かけがえのない時間なんだよねきっと。カメラなんかぶら下げていつまでも遊び呆けていられるといいんだけどね、写真面白いからさ。 某氏が自分で入力したのか、同じナマケモノのくせして、こういうことになると、妙にマメ。どうせまた削除するんだろうし、もったいないから、こっちに引用しとこ。 「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい」 daido moriyamaこれもいつ削除されるかわからんから、削除されないうちにもらっておこう。 ぼくに、思考、思索、思想などいっさい向いていない。 日ごろから物事を考えないようにしている。 だいたいこの世のことは、考えても仕方のないことか、考えるまでもないことかのどちらかだ。 まぁ人間、生きていれば、起きていれば、いや寝ていても、否応なく四六時中、脳髄も五感も六感も、ぐったりするほどチラクラ働いているわけで、もうこれで十分ではないか。 ものを考えないとオバカサンになるなどとよくいわれるが、考えなければやっていけない人などもともとオバカサンで、ホラよく、ヘタな考え休むに似たり、というではないか。 昔パスカルは、人間は考える葦である、などとつまらんことを言ったし、ロダンなど「考える人」などという不気味なシロモノをデッチ上げた。 まぁ昔は、そんなことをいってりゃァすんだのだろうし、考える事、イコール、深遠という図式が成立したよき時代だったのだ。 しかし、哲学などというエタイのしれないものが解体してしまったいま、考え込んでいても、グッドアイデアなど出てくるわけがない。 つまり、イモを掘ってりゃ報われるってもんじゃないのと同じで、考えてりゃすむってもんじゃないわけだ。 人間は直感と実行あるのみ。世の中、そんなにむずかしいことなんてねぇってば、というのがただいまのぼくの考え。 人が、何事かをじいーっと考え込んでいる図なんて、考えただけでおっかない。 モリヤマさんは、モリヤマさんの写真は、そしてその写真そのものは、今後どうなるのですか?と、しばしばぼくはひとから問われる。現にいまだって、目の前にいるひとからそう問われている。 つまり、ぼくと写真の、この先の計画や展望、そして写真の将来に付いて聞かれているわけだが、ついさっき記したように、ぼくは「考える人」ではないのだから、そんなことはまったくわからない。 だいたい、オレは写真家でござい、などとしゃっ面さらして生きていること自体、もともとフロックみたいなもので、本当はコメディアンになりたかっただけだ。 それでも昔は、若気のなんとやらで、暗い目をして写真とは?オレとは?オレと写真とは?なーんてふうだったが、いま思えば、頭から灰をかぶって寝てしまいたいというか、穴があったら木に登りたいというか、恥ずかしい。 そんな、目の前に心理のぶら下がってるようなことを考えてるヒマに、もっと撮ってりゃよかったのだ。 だいいち、真理とか真実なんてあるわけもなく、あるのはド現実だけで、もうこれだけで手いっぱいだ。 つまり、写真とは?とか、これからの写真は?などと、ゴマメの歯ぎしりをしているから、写真が遠くなってしまうし、写真がダメになっていく。 このところ、なんとなく写真がアート志向らしいが、バカを言っちゃいけないよ。写真が、カメラマンがアートなんぞを志向したら、それはもう、自殺だよ。 アートの連中が、カメラを使うのは勝手だけど、カメラマンが、カメラ使ってアートするなよ。それこそ、自由のハキ違いってものだ。 言いたかないけど、カメラマンはバカが多いから、ノミの脳ミソほどの頭と、セコい小手先使って、たいそうなものを作ったつもりのシタリ顔だが、おまえさん、黄色いアンヨがみえてるゾ。 だいたい写真に、創作とか、創造とか、そんなものはないのだよ。 だから、カメラマンには、世間を複写する職人としてしか、生きてく道はないわけだ。 この程度のことさえわかっていれば、写真の明日だの、明日のぼくだの、そんなことどうだっていいわけで、どうにかなる以外、どうにもなりゃしないのだ。 たとえば、カメラやフィルムや、写真に関するいっさいが、どんどんテクノ・デジタル化していったところで、仮に写真がそっくり消滅してしまったところで、僕は全然困らない。 どうせ、そんなものについていく気などはじめからないし、もともとコメディアンになりたかったのだ。 もし明日、カメラとフィルムが消えていたら、ぼくは四谷三丁目に住んでいるから、ドトールでコーヒーを飲んでから、セイフーか丸正に行く、そして、お酢と卵をしこたま買って帰り、その酢と卵白とを調合し、ボール紙か布切れに塗って、感光材を作る。 そして、その上になんでもいいから、そこらへんのものを適当に乗っけて、お日さまの下に持って出て、ぼんやりタバコなど吸いながら、じっくりと焼付けの終わるのを待っている。 これでもう、あの昔なつかしい日光写真ができるのだから、ジタバタ騒ぐことはない。 つまり、時代と逆行して、ニエプスのころまで帰ればいいのだ。 となれば、もう何事も考えることもなければ、ややこしく掘り下げることも、未来も予知もない。 でも、こんなことばかり記していると、アンタ、なにを前世紀の化石みたいなことばかり言ってんの、といわれそうだが、まったくそのとおり、だからぼくは日ごろから、写真は光と時間の化石だ、と言ってるわけ。 おしまいに、「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい」という、ぼくの大好きなフレーズを、どうぞ。 |
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