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20021122 Fri
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20031122 Sat
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■本日の食事 朝:トースト1、コーヒー2 昼@机:お好み焼きたこ焼きセット 夕:ロールキャベツ |
■本日の買い物 @ヤフオク:『ドラキュラ』創刊号 |
毎週のことです(-。-;) 朝起きれません。慌ててシリアルを流し込んで、バターロールほおばりながら飛び出す。きょうもけっこうお仕事。ほんと仕事は向いてない。
■本日の食事 朝:バターロール1、シリアル 昼@いも膳:チキンカツ、ニラもやし炒め、おでん2 夕:鯛ちり |
chikiやんの通報できょう買って、帰りの地下鉄で見たよ。やっぱり大道は、あ、いや大道先生の写真はかっこいい。どれ見てても惚れぼれしちゃうよ。ところで、どうでもいいんだけど、
「マイルス・デイビスとジョン・コルトレーンが奏でる、絶妙なブルースが聞こえてきそうな音楽的写真でもある。」
なに、書いとるねん、この解説書いてるやつは(-。-;) マイルスやコルトレーンを引き合いに出すなんてこと自体、思いつくままの記号的に並べた浅薄さが見え見えじゃんか。同じ書くなら、八代亜紀とテレサ・テンがデュエットしてると書けんかね。
あ、group脱けるのにはまってしまってる^_^;
はぁ、やっと本題に戻った。これね、1年ほど前の、確か日曜だった。雨降ってて写真撮りに出て行けなくて、ふっと
raindrops on roses
whiskers of kittens
というフレーズが鼻歌となってついて出たので、これだと思って、下の庭にバラを撮りに行ったのだった。な、だから猫の目とか鼻ぢゃなしにヒゲにピントあわせてるだろ。って、この猫、うちぢゃホルスタイン猫と言われていて、kittenからはほど遠いのだ。
そう、これこそが"My Favorite Things"なのだよ。意外と知らない。flickrでも誰も反応しやがらんの( ̄。 ̄;) ちぇっ
で、"My Favorite Things"のグループ展に持ってった。だから2日続けて行ってるの。なんのこっちゃ。
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うはぁ〜〜〜っ、去年の12/5のうらまごに全く同じこと書いてるやんけσ(^_^;)ア...おまけに写真つきで ああ、耄碌してるm(_
あ、そうそう、この写真、プリントアウトは新しい9000proでやった。めっさ、色きれい。問題はモノクロがどんだけ出るかだけど
レイトショー第2弾! って、喜んでられないんだけどね(苦笑)
この『ブロークン・フラワーズ』って、カンヌの特別グランプリもらってんだってねぇ。知らんかった。でもいま調べたら、カンヌってのも、ゑ?っての結構あるよ。
それはさておいて、話は昔の女から手紙が届いた。それが誰なのかわからないが、手紙には「あんたと別れたあと、妊娠しているのに気がついた。その息子はいまは19歳で、父親をさがして出て行った」とある。20年前のドン(ビル・マーレイ)は、思いきりのやりチンだったらしいw ふつう、そういう関係の女だったら、即だれだかわかろうものを。で、見当つけた4人を訪ねて行く。いや、この場合は「尋ねる」かも。それは20年前の自分探しの旅でもあるわけですよ。
ところで、まだ40歳くらいならそうでもなかったんだけど、さすが50も半分超えてくるとね、20年じゃきかないの。20年前なんて、ついこないだのように思ってる自分。それでこないだから、持ってるDVDやらの整理をしていて、ふっと気がついたんだけど、♪〜シャバダバダのクロード・ルルーシュ『男と女』(ギャラリーのトイレに貼ってるポスター)ね、これが1966年。そして86年に『男と女 II』をつくってるんです。20年というのはやっぱり一区切りなんでしょ。そうすると、2006年にはさらに20年後のアンヌとジャン・ルイの物語があってしかるべきなんでしょうけど。
と、映画を観ながら、ふっと自分になぞらえてみる。
確かにン十年前をよく語るようになったというのも歳のせいなのか、別の考え方をすれば、『パーマネント・ヴァケーション』からジャームッシュも28年経ったということですね。次の10年、20年を語っても不思議じゃない。
この2週間、多くの方に見に来ていただいてありがとうございました。
と、いちおうご挨拶_(._.)_
きょう最終日はまたちょっと同窓会状態に。中学の同期の旧姓Tさん来訪。全然、知らなかった接点が発覚。というのは、ボクは小3までNHK児童劇団に在籍したのだが、小4になるときにほぉり出されて、そのあとに旧姓Tさんが入団していた。昔のアルバムをひっぱり出して来たら、「あ、クロちゃんや」と。そのクロちゃんボクも覚えてました。あれから50年クロちゃんとは全くアカの他人なのだが、不思議なつながり。ま、そのような昔の暴露話で勝手に盛り上がっていた2週間でもあったのです。
それはそうと、『詩写真(仮)』は最後まで(仮)が付いたままだった。「え?(仮)付いたままなの?」とよく聞かれた。そのことに関して、高田さんは明確な解釈を示してくれた。
彼女が高校の美術部時代に3校合同の美術展を開いていたのだが、その展覧会名は彼女が名付けたのだが「寓展」。寓展はそれ以後、10何年か続いて開催されたらしい。さてその「寓」という漢字こそ「(仮)」なんだという。つまり寓居の寓、仮住まいだと。「これで完成ですか」と言った人がいるのだが、いまこうして展示や一冊の本となって、一見完結したように見えても、やはりこれは「寓」つまり仮住まいでしかない。元々、詩も写真も、高田さんとボクそれぞれが独立してあったものをコラボレーションさせた。どちらが寓なのか、どちらがそこに棲む人なのか、この際関係ない。どちらも寓であり、どちらもそこに棲む人である。その意味で『お互いが「ため」にしてないのがいいね』※と評してくれた人がいたのはありがたかった。気がついた人がいるかもしれないが、5月の展示のときと、棲み家を変えた作品もある。より棲み良い寓をさがしただけだ。5月の展示は展示で(仮)で、今回の展示も(仮)である。そしてもちろん一冊の本も(仮)である。もっと言うならば、作品に完成などないはずである。詩も小説も作者が死ぬまで形を変えて行くものだ。写真はどうだ?そこに提出された写真はそれで完成のように見えるだろうが、次にプリントされるときは何らかの違いがあって当然である。だから完成なんてありえない話なのだ。あくまでも(仮)でいい。そのことはこうした作品についてだけでなく、生きるということについてもそうじゃないのか。仙人なんていやしない。
そしてもう少し辞書をくってみると、「寓」というのは、寓話、寓意というように、詩と写真がお互いに「かこつけて,それとなくある意をほのめかすこと」 まさに表現したかったのはそれだったのかと思う。いや、ほのめかすと見せかけただけだ。ある意は見る人が勝手に妄想してくれたらいい。それを横でほくそ笑んでいたい。
『詩写真(仮)』のあとがきにも記したけれど、とにかくボクのわがままにつきあってくれた高田さんにはありがとうと言いたい。今年1年のいちばん大きな仕事がやっと一段落ついてちょっとホッとしたよ。
※『お互いが「ため」にしてないのがいいね』というのは、ちょっと聞き間違えていたようだ。正確には『お互いが』ではなくて、『コラボの「ため」にしてないのがいいね』ということのようだ。つまり「さぁ、コラボレーションしますよ」としてないのがいいというわけである。組み合わせてみるとおもしろいだろうという単純な発想からスタートして、ただそこにあった素材となる詩と写真を組み合わせただけである。そしてその狙いは上にも書いたように、その解釈は見る側に任せてほぉり投げてみただけである。だから『コラボの「ため」にしてないのがいいね』と言ってもらえたのはもっとありがたい評だった。
※※ 「ためにする」小学館『現代国語例解辞典第2版』では《ある目的を遂げようとする下心を持って、また、自分の利益を図る下心があって事を行う。》だという。はてなキーワードでは「ためにする議論」とは《何らかの意図のために、あらかじめ結論を決め、都合のいい論拠だけを挙げているような議論》とあって、さらにしょぼい新和英中辞典には「幹事長の発言には何か政治的にためにするところがあった」という例文があがっていた。つまりその人が言いたかったのは《ためにするコラボでないのがよかった》と。そういう意味だったのか。日本語は難しい。そいう用法って知らなかった(恥) はいはい、と聞いていたのだが、なるほどそう受け取ってもらっていたなら、なおさらありがたい評であった。