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20020421 Sun 雨の京都お徒歩組
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■本日の食事 朝:トースト1、コーヒー1 昼@出町路上:コロッケ、豆大福 昼@ほんやら洞:チキンカレー、コーヒー 休憩@いのだ:コーヒー 夕@スタンド:湯豆腐、きずし、エンドウ豆玉子とじ、いわしフライ、筋煮込み、●●●●●、ビール |
■本日の食事 朝:トースト、菓子パン、コーヒー1 昼@くら:茶碗蒸し、うどん1/2、寿司 夕:ゲソ天、サラダ、コロッケ |
■本家まごまご日記 先週のことなどをつらつらと |
まごまご日記のほうでも宣言したんだけど、あっちこっちで宣言しとかんとね^^;
もう4年も前になるのか、せっかくのダイエットに成功したというのに、ここ1年ばかりじりじりと戻しつつある。過激なはまぐりダイエットという手段(要するに食あたり)もあるが、ここは飯食うの控えて、とただそれだけ。またエアロ通いというのもしんどいものがあるし、強迫観念にとらわれるのもね。
が、いきなり夜は、宴会で食いまくってしまってるボク バカバカバカ
新自由主義とは、言うまでもなく、個人の自由と責任に基づく競争と市場原理を重視し、その結果引き起こされる優勝劣敗の自然淘汰によって経済の活性化、効率化を図ろうとする考え方である。
ここでは当然、何ごとについても「個人の自己決定」が重視され、その自己決定に対しては「自己責任」が求められる。そしてまた、これらの美しい言葉によって、初期条件の不平等は意識的に無視され、「持たざる者」は合理的に排除されるのだが、ここではそのような批判はひとまず措こう。
あいかわらず「自己責任」という《まさに「新自由主義」の進展という文脈において、ようやく市民権を勝ち得た言葉》でもってバッシングが続いているが、国=共同幻想によって排除されている(されようとしている)のは、かの3人+2人ではなく、自分たち自身だということに気付けよ。
実質Eddieの大阪もきょうがラストなので、もっぺん濃ゆいところを連れて歩こうと、ミナミを南下して、あらあら、千日前市場いきなりなくなってしまってサラ地になってしまってるやないの。日本橋から日東経由で口縄をあがって夕陽ケ丘。四天王寺へ行ったらうまい具合にお大師さんで、それでアシャでお昼して、アシャがギャラリーにならんかしらんとか言うてたら、とうとう雨がぽつぽつ来だして、寒うてEddieは震えてるから、こりゃアカンわと新世界はあきらめ的士でいったん退却。
大場さんのおかげで無事というかなんとか終了。お疲れサンマでした。
で、参加者はみんなホリウチに現像出して、ボクはそれからやっと自分のつくったピンホルガで中崎町をちょちょっと撮る。
「よかったね、まごさんも自分のあな、使えるようになって
「うっ、(ことばにつまって)、あ、あのね、マイ・ホールとか言ってよ
「だって、いままで、あたしのあな使ってたでしょ
・・・・・・・
なんぼ、ボクでも言葉につまるよじゃ(・_・;)
あ、でもね、自分でアルミにペーパーかけて薄くして、それからマチ針でアナを開けるのですから、その開け方によって、それぞれにアナは違うわけで、直径0.2〜0.3mmとはいえ、微妙に真円でなかったりするのは当ったり前でしょね。だから「ジブンのアナ」となるわけですね。これってある意味、毛深いじゃなくて、奥深いことだとつくづく思いました。