たまにはね^_^; ガラに合わんってかw
あ〜、でも花は写すの好きだけど、ほら花となると機材に目に物言わせたような撮り方されたのがまかり通ってるから。そいうや、オヤジもけっこう花は写してたなぁ。ニコンにマクロでね。あ、別にだからって紫陽花撮ってみたんじゃなくて、昔っから紫陽花好きなのね。でも三脚構えてがしっと写そうなんてとんと思ったことない。マクロレンズもオヤジの抽出しに入れたまま。やるって言うてたけど、どうしようかな、たぶん使わないだろうな。
オカンはきょうはまたスイッチ入ってしまったのか、坊さん来る前にひとしきり、ぎゃははは、堪忍してよぉ〜〜
うははは、冗談でflickrにアップしたら、けっこうviewは来るし、favもcommentもついて引っ込めるに引っ込められなくなった^_^;
もう白状しとくと、この3月まで高校の教師やっとったのだよ。「暗い過去」・・・(爆) 鶴太郎風に壁のスイッチを切る(←古っ) あのですね、コメントの成り行きで「I resigned from a physics teacher to take photos :))」なんて書いてしもたけど、あ、それくらいカッコいいもんですよ(自慰爆) で、もういまやphotographer様だからね、ココロするようにww
ちなみにこの写真は今年の2/17、もう4ヶ月も前ですよ。諸般の事情により、公表しとりませんでしたが、よく見るといい写真だなぁ(自画自賛) 彼らの卒業式始まる直前に教室に行って撮ってやったの。自分自身の卒業式でもあったからね。で、こういうふうにタネ明ししてもらってから、うらまごの2/17を読むのも乙なもんかもねw
深くて暗い川がある〜と歌ったのは野坂昭如で、エンヤコラ今夜も舟をだすのでしたが、「男と女の間には写真機がある」と曰ったのは荒木経惟で、その『男と女の間には写真機がある』を読み返そうと、ふっと思い立ったのではなくて、某女史の日記に書かれてあったので、思い当たるところありまして読み返そうと思ったのでしたが、いかんせん、かの本棚でしょ。どこに何があるかわからん。確かここらに入れておいたはずなのにと探しても見当たらず、かわりに『すべての女は美しい』が出てきたので、それを寝る前につらつらと読んでました。
《女を撮るなら「気(け)」を感じることだ》ってね、あえて引用しませんけどね、だってめんどくさいもん。あ〜、そうそう、やっぱりアラーキーいいこというよねぇ。どこぞのサイトに女の撮り方なんてのがあって、「AFはフレーミングとピントが同時にできない。MFに慣れてないと、その一瞬の表情を捉えられないよ」などと偉そうなこと書いてたけど、肝心の一瞬の表情も出してもらえない関係だったらしゃあないやんかと思うのでした。アラーキーはやっぱり偉い!
ド真ん中にピント合わせて何が悪い^_^;
ヒミツにしてたんじゃなくて、Canonの50mmレンズ買うたんだよ。月曜日にね。はは、定番でしょ。だって、これだけは安いんだもん。1万円しない。 ほんとは24mmとかそこらあたりの短いのほしいんだけど、金ないです。あ〜、でもなんて単焦点って楽なんしょ。カメラのことなんかなぁ〜〜んも考えなくてもいいからね。写ればおっけ! それだけっす。あ、それでこの上の猫は50mmつけて2枚目に撮れちゃった。あくまで「撮れちゃった」です。ね、いいっしょ。
振替えのテニスでね、そそ、今期、ギックリ腰やら、いろいろでテニスの振替えがいっぱいたまってる。もったいないから頑張って消化するけど。というわけで、きょうは11時のクラスに行ったら、おばちゃんばっか(^◇^;) 終わってからも「ちょっと遊んでかなぁ〜い」うりゃ、何なんですか(汁) いや、小1時間ほどゲームやれへん?って誘われて、そういうお誘いにボクって断れない人だから、あ、は、はい(←chiki風に)と、お昼も食べずにテニスてたらもうフラフラよ。家に帰ってパタンと倒れてお昼寝。おかげでデートのお誘いのメールに気がつかず。ごめんねぇ〜〜ヘ(X_X ;)/ ヘロヘロー。。。(lll __ __)バタッ
某SNSですが、ってミクシしかないけんどなw^_^;、を、もうそろそろミクシも「お前国をあげての一大サイト」となるんでしょうか、ミクシ見とらんのは非国民だとなる日も近いぜ
それでですね、某有名大学の学生さんですが、ミクシで「国をあげての一大イベント」とぶちあげた。ところが少しそれではヤバいとでも思ったのか、約30分後に「ごめん間違えた。。国→世界やった」と訂正を入れた。
「世界をあげての」という国語は正しいのか。非常に疑問である。それは上げ足取りになりかねない。そのようなところで苦言を呈しようというのではない。
問題とすべきなのは「国をあげて」という感覚。現に、そのあとに「非国民め!!!」と続く人間まで現れた(これとてヤバいと察知したのか)。この「国をあげて」という言葉が容易に発せられることに、非常にキナ臭いものを感じるのは自分だけなのか。たかがスポーツごときというなかれ。これまでスポーツがどれほど政治に使われてきたか、そんなものはダ・ヴィンチコードなんかよりはるかに明白である。
頼むから静かに観戦してくれ。世の中にはほとんど興味を示さない者もいる。ラブホで69しながら観戦してたのもいるだろう。それらすべてを認めてこそ、ワールドカップたるものじゃないか。
阿部定がこれほどに歴史に名前を残したのは「お国をあげて」いた昭和11年に、「お国」などまったく関係のないレベルで吉蔵のチンチンを懐にかき抱いていたからじゃないのか。それでも阿部定を責めますか。