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20030111 Sat
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■本日の食事 朝:トースト1 昼@マス屋:おろしハンバーグ 夕:ashのおでん、オムライス |
■本日の買い物 @ヤフオク:森山大道『遠野物語』 |
■本家まごまご日記 《豚の餌》 |
前の晩から頼まれていた原稿を書き上げる。ひさしぶりに原稿用紙に1500字も書くと手が痛い。空いてる時間に『ねむり姫』と『狐媚記』の二編を読む。『狐媚記』の兄妹相姦に陥って行くくだりがなんともせつない。
夜、歓迎会兼新年会。
固いブツはすでに6日に到着。柔らかいほうがきょう届いて、さっそくインストール。
インストールの時間待ちにメッセしてたからか、インストール完了してもネットに繋がらない。真剣にインストールしなおしたら夜中の3時。それでもネットに繋がらず、自爆しつつダウン。ミッシーと寝る。
■本日の食事 朝:トースト2、コーヒー2 昼@天香:サービスランチ 夕@与助:ちゃんこ鍋 |
ゴダールの映画のタイトルだけどね、邦訳は『勝手に逃げろ/人生』 これ確か見たはずw 忘れてやがんの^_^; で、『勝手にしやがれ』に対して、瞬間的に『勝手に逃げろ』では退行的じゃないかと思って、ネットで調べていたら、「逃れうるものは逃れよ」と訳せるらしい。ほんまフランス語はさっぱりわからんので、まったくの手さぐりなんだけれど、さらに調べると、軍隊なんかで「一時退却して、また会おう」というふうに使われるらしい。なるほど、なるほど。
てなことを、内田樹『「おじさん」的思考』(晶文社)の中にあるそうだ。うんうん、とまた首肯く。http://hc3.seikyou.ne.jp/home/kyamato/bookmemo2.htm
というわけで、Sauve qui peut / La Vieに決めたよ。何がだ?w
http://flagrantdisregard.com/flickr/poster.php これおもろいのな。そんだけ。
まるで春がもうそこまでやってきたかのような暖かな天気。こんな日はガシャガシャせわしなく撮るより、ゆっくりじっくり構えて撮りたいぜ、なんてがらにもないこと考えて、 Parlをもち出した。が、なんかシャッターの調子がおかしい。どこかにひっかかったような。何度かトライしてみたけど、どうもようわからん。こういう非エレクトリックのカメラは、なんとかなるのが救いか。
で、きょうも20Dで。ところが頭がじっくり撮ろうとしてたもんだから、なんかピンと来ない。何、撮ったらいいのやら、撮っても撮ってもすっきりしないで、まぁ、こんな日もあるか。しゃあないね。
と、いまメモリを吸い出してみたらけっこういいかもw
もう30年以上前のことだが、黒テントのあれはなんだったか、佐藤信の『阿部定の犬』だったか、その芝居の最後のセリフは斎藤晴彦の「そうか、昭和、終わったか」だった。その芝居から10年少し、ほんとうに昭和が終わってしまったとき、いちばんに思い起こされたのが、その斎藤晴彦のセリフだった。
昭和天皇が崩御したのはちょうど20年前の1月7日。つまり昭和が終わって、まるまる20年経ったのだが、その当の1/7に、「昭和が終わって20年」なんて、ほとんど聞かなかった。もっともテレビつけてないからかもしれないのだが、いやもう少しなんだかんだあってもよさそうなのに、そんなに「昭和」はもうあっちに置いときたいのだろうか。
《昭和が終わって20年.....すでに昭和はセピアの彼方なのか》と『昭和』とタイトルした写真展もきょうで終わり。昭和はわら半紙の向こうにひらひらと舞っているのかもしれない。
そういえば、きょう1/11は「昭和の絵師」と言われるようになった上村一夫の命日とか。どんどん昭和はあっちへ行く。
震災 永井荷風今の世のわかき人々
われにな問ひそ今の世と
また来る時代の芸術を。
われは明治の児ならずや。
その文化歴史となりて葬られし時
わが青春の夢もまた消えにけり。
團菊はしをれて楼痴は散りにき。
一葉は落ちて紅葉は枯れ
緑雨の声も亦絶えたりき。
圓朝も去れり紫蝶も去れり。
わが感激の泉とくに枯れたり。
われは明治の児なりけり。
或年大地俄にゆらめき
火は都を焼きぬ。
柳村先生既になく
鴎外漁史も亦姿をかくしぬ。
江戸文化の名残煙となりぬ。
明治の文化また灰となりぬ。
今の世のわかき人々
我にな語りそ今の世と
また来む時代の芸術を。
くもりし眼鏡をふくとても
われ今何をか見得べき。
われは明治の児ならずや。
去りし明治の世の児ならずや。