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20021101 Fri
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■本日の食事 朝:トースト1、コーヒー1 昼@吉野屋:牛丼+半熟玉子 夕:いなり、巻き、ほかいろいろ |
20人の精神障害がすれ違うかのように繋がっていく。そのこと自体が1本のライン。ひさびさの村上龍節を読んだような。あ、でも『トパーズ』『ピアッシング』『白鳥』なんかの流れだよな。ラストの「人間は他人によって自分を確認している」
川端康成が自作中でもっとも嫌った作品で、自己嫌悪の対象として主人公に投影したとされる。禽獣というのはいまでいうペット。小鳥、犬、などの禽獣に対する愛玩の裏返しとしての冷酷さが、女に対してまで及んでくるという川端康成ならではの耽美さが、この短かい小編におしこめられているのはさすが。
■本日の食事 朝:トースト1、コーヒー12 昼:ちらし寿司 夕:一銭洋食 |
島の総人口47人。うち成人男性12人。ということは、成人女性も10数人か。手当たり次第の乱交島だったのか。
サンケイ新聞に少し前に掲載されたらしいが、満月をバックにコウノトリが飛んでいる写真。これが合成とわかって、サンケイを猛烈に揶揄する記事がきょうの讀売に載っていた。(讀売新聞に掲載されていた写真の方が鮮明で、月のクレーターの紋様もコウノトリもくっきりすっきりしていた。)
《担当デスクと堀川晶伸・写真部長がチェックしたが「構図や色彩の見事さにとらわれて気づかなかった」(堀川部長)》というけど、この写真部長って、それ以前にセンスないよなぁ。あまりにきれいに収まりすぎじゃん。あまりに収まりすぎていて気持ち悪いくらいで、その時点でまずはねてしまえばよかったのに。
ウソっぱちを「報道」することはモラルの欠如と指摘されても仕方がないけど、新聞社同士で相手をあげつらう姿勢もどうかと思うな。
写真展2つめ。何かさぁ、こないだの大道の写真展でもそうだったけど、写真展見ると、自信なくすよなぁ(-_-;;トホホ いや、ここまで出力してナンボなんじゃないかと。
大道が石内都の若いころに「そんなつっぱってたらしんどいだろ」と言ったのだけれど、彼女のツッパってるのが見えて、見てる側までしんどくなってくるのだが、ある意味で、そのツッパリを楽しんでいたりする。ボクは、っていうと、そうまでツッパってやってけないなぁと、少し羨ましくもある。
トリュフォー監督の遺作。なんていうと仰々しいのだけれど、軽快なミステリーを遺作にしてしまう(いや、遺作となってしまったのか)のもトリュフォーらしいのか。実際、倒れるまでにつぎの作品の脚本にとりかかっていたというのだから、本人自身はこれが最後かななどと意識してなくて、ごくふつうにつくった映画でしょ。
で、ファニー・アルダンですが、最近、ヴァレリア・ブルーニ・テデスキとかね、こういう熟女というのも変か、熟した女がいいなあとつくづく思う。そしてトリュフォーの脚フェチに座布団3枚!
この映画をリアルタイムで北野シネマで観たのが40年前。この映画とモデルとなった終戦との時間の隔たりが20数年。つまり映画からこっちのほうが倍の時間が経過してしまった。この時間の差って何なんだろ、というのが40年ぶりに観ての感想。
そりゃ、大谷直子もふけるわ、などと変な感慨。これデビュー作で全裸で雨の中を駆けていくのが、当時の高校生のボクには刺激的だった。いや、それにしても昔くさい顔してるワ。『ツィゴイネルワイゼン』などとは比べものになりませんねw
岡本喜八ってこんなにキッチュだったと思わせる、風刺たっぷり。戦争のしかもドン亀作戦(だっけ?)の悲壮感はともすれば重苦しくつまらない映画になってしまうのを、見事としかいいようのない演出。40年経っても色褪せしてない。