2006年、これで婁燁(ロウ・イエ)は5年間の映画制作禁止処分
問題の天安門事件('89)にしたってそうだけど、中国ってのはほんとようわからん。『霸王別姫』なんか見てたって、きのうの善はきょうの悪で、きょうの悪はあしたの善ってところがある。まぁ、それはようわからんとして、考えてみれば、この映画の描かれる天安門事件89年で、ベルリンの壁崩壊が90年、ソ連邦崩壊が91年、同時期日本はバブルまっただ中で、だれも彼も、ボクもそう、浮かれ気分で平和日本アンポンタンでしたよねぇってしみじみ。それはそれとして、調子こいて、天安門事件に自分の学生時代を重ねてみて、それから10年、20年か......( = =) トオイメ そうして、まんまにせつない気分になってしまうのも平和ぶぉけ...かもしれない。 でも2時間15分とちょい長めなのだが、こうう映画を弾圧に耐えてつくっていることに尊敬する。同時期に、バブルからまださめきらないクソ映画(おととい見たヤツだよっ)がつくられてたなんて
やっぱ、オーレン・イシイ輝男はすごいのだった。 (注:KILL BILL1で役名を「オーレン・イシイ」としたのは、石井輝男、石井隆、石井聰互へのリスペクト) ちょいと前にひょんなことから、木更津の目玉をネットで見つけて、そっから長浦にとんで、『やなぎや主人』でしょ。行き着くところは『ねじ式』(^○^)なのでした。 ケチをつけるとしたら、浅野が海から出てくるときに頭上に飛行機が飛んでないこと、目医者の看板がしょぼいこと、機関車が村に入ってくるシーンもしょぼいことかなw
くわしくはまごれびゅ(前に観たときに書いたのだけれど)
どうしようもないです(-_-;) 黒谷友香が全裸になってくれようが、なんかこんな映画で脱いだなんてのが可哀想なくらい。黒谷の相手となる黄川田将也、村上弘明という男がどうしようもないのですね。いや、男優そのもというよりその男を描くのが酷すぎます。なんで?となるのですね、どうして黒谷友香はこのような男と関係するのか、どうにもなぁ。ポルノならポルノでいいのに、半ばトレンディドラマのように仕立て上げ、それもいつまでバブルやってんだいってシロモノ。2度のフォアグラを食すシーンなんて噴飯もんです。たった3年ほど前の作品などとは全く思えなく、なんかほんとに時代に取り残されたマスターベーションとしか感じれません。ちぃ〜〜ん(# ゜∀゜)
たとえば、ある場所へ写真を撮りに行くにさいして、あるテーマらしきものを決めたとき、ほとんど、それに関して、そのために資料を調べたり、事前に調査をしたり、なんてことを、絶対と言っていいぐらいしないんです。(中略) これは僕の独断になってしまうんですが、僕は僕がカメラを持って立っている場所こそが、すなわち僕にとって抜きさしならない現場であり、写真のすべてである、と言うことなんですね。それは言い換えると、たとえどんな予備知識やイメージを持っていようと、それらは必ず現場によって簡単にくつがえされるという考え方です。だから、方法論とか原点らしきものをもし仮に僕が求めるとしたら、それはすべて現場であり、現場からなんです。
ビルとの最後の対決は意外とあっけなかったなぁ。1のオーレン・イシイとの対決のように『修羅雪姫』が流れるの期待してたのにw いちおうエンドロールでは2でも『怨み節』が流れる。 1であれだけ派手に劇画漫画やっただけに、意外と2はおとなしめ。というのは、1は問題で、2はその解答だと言うんだけど。でもなぁ、2時間超は長過ぎ。
間違えて先週の月曜に行きそうになった(^_^; 大判小判はきのうからw 竹歳さんのPENの写真群。あー、写真ってこんなんだったなぁという思いが甦ってくる。この初代PEN、竹歳さんのお母さんのだったらしいが、たぶんそのお母さんというのはボクと同じくらい?(竹歳さんのことはまったく知らないので、あくまで想像)。最初に持たせてもらったカメラは何だったか忘れたが、小学校の高学年の頃にガンガン(といっても今ほどではないだろうけど)撮ってたのがそのPEN。実家をさがしたが見当たらない。たぶん壊れてしまったのかもしれない。で、どうにもならん写真がいっぱいで、そういうのはがっさりとまとめて箱に入ってた。いや、その頃の写真ってのはがっさり乱雑に箱にほりこまれたるものだった。そこから引っ張り出して、あ〜これこれって感じ。そいうふうに無心に撮っていた頃が、ある意味、愛おしいし、写真の原点だと思い出させてくれたのだった。
本格的に梅雨明けか、会う人ごとに、あいさつは「暑なったねぇ」で、写真撮るというか、写真撮るために動くのにめげる。それでもという思いでGRで2本。ギャラリーにようやっとという感じで逃げ込んで、即、現像。