つげ義春流れ雲旅 (1971年) amazon
わたしたちが<旅人>であるとき、わたしたちは<風景>に向かって歩き、<風景>とふれあい、そして<風景>を通りすぎていく者だ。風景あるいは土着の生活に対してわたしたちはわたしたち<旅人>のもつまなざしにひとつの決意をこめざるを得ないのだ。わたしたちが風景=生活社のまなざしを内部に持ち得るなど考えるのは、おそらく愚かしい空想だ。
たしかにわたしたちは、花の下で夢みるようにとけこむように死んじまえたら、それは無上の幸せだと思う。あるいは老人遍路たちは旅をしながら、死になじむこころを求めているのではないか。<日本人>の理想的な死にかたとは、そんなものであるのだろう、と思った。
ところでこの『流れ雲旅』は、つげ義春がひとりで著した、つまり文も写真もつげだとばかり思っていた。写真、上手いよなぁと思っていたら、写真は北井一夫だったし、文章は大崎紀夫。なぁんだ、つげ義春は本職の絵だけだったのか。でもそのコアとなるのはつげなのだけれど。
久しぶりにすき焼きを食す。やっぱりいい肉は美味い。
っても流しの演歌歌手じゃなくて、ギャラリーの流しです。 1ヶ月前から、ビルの補修工事といって、床のタイル張り替えや壁の塗装、さらに流しの取り換えの工事が入ったのだけれど、流しまわりの左官工事がヤバくて、そりゃそうだ、素人目に見てても、そんなんでええのという工事で、案の定、すぐにひび割れが来て、やり直しだってさ。で、せっかく入った流しも、また1週間撤去。なんもできん(-_-;)
どうも最近、耄けてる。きょうも少し前に送ってもらったうなぎを、2日遅れの土用の鰻だと、持って帰ろうとしたのだが、表で看板をしまうときに、ふっと置いたまま帰ってしまう。岸ノ里を過ぎたところまで走ったところで思い出した。大あわてでチャリを飛ばす。雨がぽつぽつ来るも、そんなことは言うてられない。足がぱんぱんになりかけて到着。 あった! ふ〜っ、そして脱力。脱力しすぎて、家に帰り着いても、疲れ果てて鰻を食う元気も残っていなかった。土用の鰻はいつになるやら。
誰が監督したのかも全く知らない、あさま山荘の映画が3,4年前にあった。役所広司がでてるヤツね。まったく見る気もしなかったのだが。若松孝二が、それを見て、「こんなもの(-_-;) オレがつくる」と怒り狂ってできたのがコレ。よくぞ若松を怒り狂わせてくれたものです(^_^) 3時間ちょいの長尺。一気に見てしまう。たぶんセクトによって、ナンセンス!などの声も出てくるのかもしれない。それはそれとして
このあさま山荘に○機が突入するのは、テレビ史上に残る、現場中継だった。そのテレビを見ながら、ボク自身は何をしていたかは、ここでは書けない。が、自分史でもそうだけど、この1972年というのは70年以上に、劇的といったらいいのか、ドラスティックな変節点だったなとしみじみ思う(いまに即して考えれば、『写真よさようなら』だって72年だし)。ちょっといろいろありすぎて....いまでも津波のように押し寄せてくるよ。 こんなふうに振り返ってしまうのは第4Qにさしかかったからなのか。
『光と影』が4月だったか、復刊されて、その写真展が心斎橋のアセンスでやってる、なんて知らんかった。大道さんのオフィシャルではアナウンスされてはいるけど、森山大道コミュにも書き込みがないし、ボクだって、土曜日にお客さんに教えてもらったところ。 作品はすべてその『光と影』からので、プリントしなおした? 大道さんのもっとも落ち込んでいたときから這い上がってきたときのもの。だから作品そのものも静か。だから煽り立てられるというほどのエネルギーが押し寄せてくるってわけでもないのだが。 意外と静かで、15分ほど見ていたのだが、その間、他に誰も来ない。もったいない。表に出たら、浴衣なんちゃらでお姉ちゃんの行列で、心斎橋筋は人だらけ。
山本政志ってのは、なぜか好きだな。低予算だしw、役者はヘタというかね、芝居させないんでしょ、きっとw なんかちょっとキツネにつままれたような、山本政志の「とりかえばや物語」。あんまり深く考える必要もなくてよろし。 この映画ってホラーのくくりだけど、そうみると超つまらんでしょう(^_^; 逆に、ホラーだったら、ボクが見ないんだけどw
『イージー・ライダー』にしろ、『俺たちに明日はない』にしろ、当時ニューシネマと呼ばれたのは、けこう破滅型で、行ってまえ!でもあとは...という、けっこうその時代をついてたのね。だから逆に「死に様じゃなくて、生き様が問題なんだよ」と言いながらも、けっこうそれらの、三島由紀夫のあの一件も含めて、妙に死に様に憧れていた。 そして今、この『バニシング・ポイント』を見ると、意外とラストがしょぼいことに気づく。もっと壮絶に砕け散ったかと思っていたけど、う〜ん、何というか、その時でも、三島のような最期より、むしろこの程度のしょぼいラストだったからこそ妙な共感をおぼえたのかもしれない。そういえば、福田善之の『真田風雲録』における真田幸村のしょぼい最期がいいなぁなんて話してた。 あ、この映画はある意味、カルトで、検索かけたら、克明に解説してるサイトもあるのでさがしてみ。何とは無しに心にひっかりが残る映画であることにはちがいない。
静かに夜の帳が 2人を包んで さまよう愛の言葉の背中を押してくれる
バスが揺れるたびに 触れる肩にまだとまどうから 窓の外に目を向けた 月が微笑んでいた
今夜夢の中 どうか逢いにきて その願いがもし叶うなら 信じてもいいよ 昔の話を あなたの肩に触れた風の中 私の心の奥には 春の花が咲いている
静かな夜はあなたを 思い出してしまう さっきまで隣で笑い 話しかけてくれたのに
何も知らぬうちに心が離れてしまわぬように 窓の外に目を向けた 月が震えていた
恋焦がれたなら 想うその人と 夢の中でもし逢えるなら さみしい夜など きっとないのにね あなたの肩に触れた風の中 私の心に咲いている 春の花を抱きしめて
今夜夢の中 どうか逢いにきて その願いがもし叶うなら 信じてもいいよ 昔の話を その想いが夢まで届く 今夜夢の中どうか逢いにきて あなたの肩に触れた風の中 私の心の奥には 春の花が咲いている