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20090722 Wed [長年日記]つげ義春『流れ雲旅』
わたしたちが<旅人>であるとき、わたしたちは<風景>に向かって歩き、<風景>とふれあい、そして<風景>を通りすぎていく者だ。風景あるいは土着の生活に対してわたしたちはわたしたち<旅人>のもつまなざしにひとつの決意をこめざるを得ないのだ。わたしたちが風景=生活社のまなざしを内部に持ち得るなど考えるのは、おそらく愚かしい空想だ。
たしかにわたしたちは、花の下で夢みるようにとけこむように死んじまえたら、それは無上の幸せだと思う。あるいは老人遍路たちは旅をしながら、死になじむこころを求めているのではないか。<日本人>の理想的な死にかたとは、そんなものであるのだろう、と思った。 ところでこの『流れ雲旅』は、つげ義春がひとりで著した、つまり文も写真もつげだとばかり思っていた。写真、上手いよなぁと思っていたら、写真は北井一夫だったし、文章は大崎紀夫。なぁんだ、つげ義春は本職の絵だけだったのか。でもそのコアとなるのはつげなのだけれど。 久しぶりにすき焼きを食す。やっぱりいい肉は美味い。 |
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