つげ義春流れ雲旅 (1971年) amazon
わたしたちが<旅人>であるとき、わたしたちは<風景>に向かって歩き、<風景>とふれあい、そして<風景>を通りすぎていく者だ。風景あるいは土着の生活に対してわたしたちはわたしたち<旅人>のもつまなざしにひとつの決意をこめざるを得ないのだ。わたしたちが風景=生活社のまなざしを内部に持ち得るなど考えるのは、おそらく愚かしい空想だ。
たしかにわたしたちは、花の下で夢みるようにとけこむように死んじまえたら、それは無上の幸せだと思う。あるいは老人遍路たちは旅をしながら、死になじむこころを求めているのではないか。<日本人>の理想的な死にかたとは、そんなものであるのだろう、と思った。
ところでこの『流れ雲旅』は、つげ義春がひとりで著した、つまり文も写真もつげだとばかり思っていた。写真、上手いよなぁと思っていたら、写真は北井一夫だったし、文章は大崎紀夫。なぁんだ、つげ義春は本職の絵だけだったのか。でもそのコアとなるのはつげなのだけれど。
久しぶりにすき焼きを食す。やっぱりいい肉は美味い。
っても流しの演歌歌手じゃなくて、ギャラリーの流しです。 1ヶ月前から、ビルの補修工事といって、床のタイル張り替えや壁の塗装、さらに流しの取り換えの工事が入ったのだけれど、流しまわりの左官工事がヤバくて、そりゃそうだ、素人目に見てても、そんなんでええのという工事で、案の定、すぐにひび割れが来て、やり直しだってさ。で、せっかく入った流しも、また1週間撤去。なんもできん(-_-;)