あれこれやれそれと狭い世界で、ずーっと長い時間(何十年というスパン)ですからいろいろね。そうして、「我が道を行く」 それでいいんじゃないでしょか。は?何かww
最近ちょくちょく来てくれるUさん(同い年)のおすすめ。おとといも来てくれた時にこの話になって、「つい最近、衛星でやってたから見たのだけれど、思ってたほどたいしたことなかったなぁ」と。をいをい。きょうもまたすーっと眠りに引き込まれながら、3時間がかりで(^。^;) ほんまどないなっとんねん。
はい、ボクと同年代なら誰もが知っている♪〜アモーレアモーレアモーレアモレミオ〜ってやつですよ。このころのイタリア映画というのは、同じピエトロ・ジェルミの『鉄道員』にしろ、ルイジ・コメンチーニの『ブーベの恋人』にしろ、映画音楽(サウンドトラックなどということばもなかった)が流行ったもんねぇ。映画は見なくても音楽は知っている。そういえば同じジェルミの『誘惑されて棄てられて』どっかにないかな?
う〜んと、Uさんの言うようにやっぱりもうひとつだったかなぁ。CCことクラウディア・カルディナーレもっと使ってくれないと。ピエトロ・ジェルミ自らはりきりすぎ(^。^;) 中盤でぐーっとサスペンス仕立てにもってくんだけど、そこのところでCCは完全にカヤの外。そのことがラストが見えやすくなってしまうんだよねぇ。とは言うものの、サスペンスの中に、パニーニ好きの刑事とかをうまく配置してたり、映像としてもしっかりしていて、やっぱりイタリア映画の黄金時代の一角をになっただけのことはある。まぁ、ボクの世代は、こういうふうに簡単に見れるようになったんだから、あの♪〜アモーレアモーレを口ずさみながら懐かしんでみても損はないでしょ。
初めて買ったジャズのレコードが、アート・ブレイキーの『危険な関係』、そのあとにリー・モーガンの『サイド・ワインダー』だったか。ちょっとこの2枚のどっちかは記憶にあやふや。もちろんどちらもシングルのドーナツ盤。その当時の音源というのは限られていたから、どっちもイヤになるくらい聞いた。考えてみれば、いくらでも音源が手に入る今と比べると、逆にシアワセだったような気がする。 それから40年の時間を経てやっとその元の『危険な関係』を観たのだから、感慨も一入(←漢字テストだw)。いきなり、タッタタタたらららぁ〜〜んとリー・モーガンのペットが流れるんだと思いきや、タイトルバックは、ポンポポポポポンとモンク。これがまたたまらない。しばらく途切れることなくモンク、モンク。が、このモンクの不協和音が心地よすぎて、すーっと眠りにウトウト(〃´`)〜o○◯・・・ いかん、いかん(-。-;) この数日、見ながら寝てしまうのが続いている。疲れてるのか。キャサリンに「寝てんちゃう!」と起こされて、巻き戻し(ん?DVDで巻き戻すというのも変か)たら、30分も寝てたのが判明。困ったもんだ。
さて肝心の映画ですが、寝てしまうような退屈な映画というわけでなく、そりゃジェラール・フィリップにつきるのだけれど、ボク的にはもうジャンヌ・モローですよ、ジャンヌ・モロー。しかも60年だから、若い!可愛い!小悪魔。こういう女に唆されてみたい!と。なんかもうぞくぞくしてしまうなぁ。 話はまたそれるけれど、『危険な関係』は文庫でも出てたのね。アート・ブレイキーで知ったときには映画を観るにも観られず、ビデオなんてなかった時代ですもの、しかし「危険な関係」という言葉にそそられてオカズになるかと文庫も買ったはず。結局、読めてないままどこかに。それで、ジャンヌ・モローが自分への愛を証明するために、ジェラール・フィリップに他の女と寝させるのだけれど、エロい話なわけで、いまならハダカ全開だろうけど(あ、スティーブン・フリアーズ監督がマルコビッチでリメイクしてんだよなぁ、オリジナル観もしないで観る気がしないので観てませんが)、なんせ60年ですから、ビーチクも見えませんよ。見えたからってどうなんだって、そいえば『イマージュ』なんて超つまらんかったし、それより見えなくても、ジャンヌ・モローのドレスのジッパーが下げられて、背中が見えるだけでぞくぞく来ちゃう。はい、背中フェチなもので(^。^;) ジェラールが関係するアネット・ヴァディムもジャンヌ・ヴァレリーも、ビーチク見せずとも適度なチラ見せしてくれていいですねぇ。 をっと、アート・ブレイキーは、後半になって、実際にパーティでのライブシーンががっちり見せてくれるし、を^、そうそうモンクのピアノソロの『危険な関係』も流れて、いやぁ、なんでこんな満足、満足という映画なのに、なんで居眠ってしまうのか、われながら情けない。
おととい、芦原橋のガード下で猫を撮ってたら、おばちゃんに声をかけられて、それがまた大阪のおばちゃんの代表みたいな人。「わたしきょうこれからえいかんどー?かんえいどー? どっちや、そこへ紅葉みにくねんけど」と。先週やったら猫の写真展やってたのにと言うと、「こないだデジカメ買うてんけど、使い方わからへんから、教えてくれへん? あした(火曜日)行くワ」と、ほんまかいなと思うてたら、きのう来なかった。やっぱりと思うてたら、きょうちゃんと京都でおみやげの絵はがき買うてきてくれてやってきた。 はい、ちゃんとレクチャーしてあげましたよ。「兄ちゃん(と言うけど、二つ若いだけやで)、携帯で紅葉撮ってきてんけど見てえや」って、携帯渡されて、ひとの携帯さわるのイヤやんか。彼氏からのメールとか見たらどないしまんねんと言いながら、三枚だけ写ってた。それも手ブレ(^_^; もっとぎょうさん写したんやけどなぁ、3枚しかあらへんか? と、まぁ、とことん大阪のおばちゃんだったが、しゃべっていて楽しかった。「詩写真」も買うてくれて、まさにおばちゃんがおみやげにくれた絵はがき通り。あ、はい、サツマ芋のお饅頭もごちそうさまでした。美味しかった。
いじいじしたメロドラマって、意外や、ボクを知ってる人は意外でもないと思うだろうが、好きですねぇ。また見てしまいぬ、だってファニー・アルダン、好きなんだもん。なんでだろ。前はそうでもなかったのに。というわけで、詳しくはまごれびゅにて。
チャリで走ったら撮れないのわかってんのに、ついまたチャリで出かける。まずは大原霊園に女郎さんの慰霊碑があると聞いて、歩いても数分だけど。たぶんこれかなと。あ、でもこれならずっと前から見てたなり。 次、はりもぐらさんの町猫の撮影現場へ。当たり前のことだが猫はいなかった。かわりに彼女の写真に写っていた猫がいた場所のすぐ横にエサ用の皿があり。 ちょろっと王子商店街の端っくれを通って、墓裏の崖上の道を通り抜け、「ハレマ硝子の通りを上から見る。飛田、今池ガードを通り抜けて釜が崎へ。ペチッと音がしたなと思いながら、新今宮の信号を渡ったところで自転車パンクに気づく。タイヤを見たら、全周にわたって芯が出かかっている。こりゃいかんなと今工の南にある自転車屋へ行ったら、これはタイヤ交換しないとアカンと言われて2000円。イタっ(>_<) が、これも必要経費。 大井でカツカレー。芦原橋のガード下で猫を撮ってると、おばちゃんが話しかけてきて、「うちはバカチョンやから、ちゃんと撮れんわ」と使い捨てを見せてくれる。おとといまで猫の写真展やっていたと話すと、あした行くから見せてやと、ほんまかいな。そのあと芦原橋の駅向こうで、たぶんケンカだろ、耳がちぎれかけてる猫を撮る。 大正橋から、微妙に松島新地をはずして通るはずが、ど真ん中をつっきって、安治川につきあたって、富島倉庫周辺でちょっと撮ってはみたけどピンと来ない。川を渡って、野田、海老江をかすめて、鷺洲から福島、そしてヨドバシでTri-Xの長巻き買うてたら、もう日が暮れかかってきていて、ますます撮る気になれなくて、先週はあのクソ寒い中を歩いて、すっかり暗くなっても撮っていたというのに。やっぱり歩きましょう。やっぱりチャリでは撮れんのだった。撮っても乗ってこない一日。
帰りはちゃんやんとギャラリ巡り。 ■ギャラリー遊気Q(北浜)《B工房展》 CHUさんも出してたけど、さすがゴトーさんのプリントはきれいで目をひく。あのあたりを見ていると大きいのも焼きたくはなるが、いやいやアンセル・アダムスのいう音譜がないと話にならんでしょ、と、最近つくづく思う。方法論じゃなくてね、自分の写真を見失わないこと。 ■ギャラリーもず 村橋さんに会いに行ったら、ちょうど田中さんという人の陶芸の展示。パッと見たら、ロイヤル・コペンハーゲンかと思えるくらいの作品がずらっと。師匠はにあたる人はマイセンだと教えてもらったが、そこんところはようわからない。ボクなんかが手に出来る食器なんてのは、いくら高いと言ってもプリントもん。それに対して、ずらっと手描きの作品が並ぶとわからないまでもすごい。世の中にはそれぞれの道を突き進んでいる人がいる。 ■10W gallery 谷敦志・中村★写真展 -double noise- 好き嫌いは別にして、突っ走ってる人の作品というのは目にしておくべきだなと思うのね。あ、谷さんの作品は前から好きですよ。決して真似できない。まったく違う作品というのもきっちり見ておくべきだと思う。そのことはおとといも高田さんと蜷川実花を見ながら話してたこと。つくりこむなら徹底的にやるべきだと。そして中村さんは今回初めて見たのだが、2in1で、つまり異るイメージを1つの中に配置している。これは前からすごく興味があることで、詩写真というのもそのひとつの形だと自分では考えている。真似するというのでなく、この2in1はいずれなんかの形でやってみたいとすごくソソラレタ。 ■ギャラリーカレイドスコープ《カブと旅した日本一周 〜菊池友宏 写真展〜 》 まあ25? 5ヶ月間にカブで日本一周をしたときに撮った7000枚の中から250枚を展示。1枚1枚の写真がどうこうとかじゃなくて、肩に力がはいっていない分、すごく楽しめた。ボク自身が12年前にBajaで日本一周してるからよけいにそう思うのだけれど、彼の行程はすごいよ。本州の一番幅の広いところ、つまり新潟-石川と名古屋-東京の間を5回も行ったり来たり。そしてかなり外周つまり海岸線を走っている。紀伊半島も回ってるし、能登半島なども2周したって。ボクのようにただ駆け抜けましたじゃない。単に記録に徹しているのが、けったいな小細工されるよりなんぼいいことか。勉強になります。
※ 中村さんの名前がどうも文字化けするらしく、★に置き換えています。正しくは10W galleryを見てください_(._.)_
まごれびゅに書いたと思ってたら、『恋する惑星』も『天使の涙』も書いてないでしょ。あらあらって、そうか、まごれびゅ始める以前に見てんだよねぇ。
はい、そのときはゲイ映画の印象がきつくてね、何かイマイチって感じがしたのだけれど、いま見返してみると、なかなかどうしていいじゃないの。男と男だとかね、もうそういうことは表面的なことで、たまたま男と男だったというだけのこと。いや、どうしても今の日本(少なくともボクのような世代の日本)じゃ、おかま!と蔑まされ、フーゾクの範囲に押しやられてるんだけど、デレク・ジャーマンなんかを見てると、環境が違ってたら、ゲイやってたかもしれないなと思う。とか言って、オンナ好きだから、バイだな(^.^;) ひとつのキーワードになるのが「やり直そう」。フェイ(トニー・レオン)とウィン(あの『霸王別姫』のレスリー・チャン)がうまくいかなくなるたびに、ウィンが「やり直そう」とよりを戻してくる。が、究極的に、駅で電車から降りて「やり直す」のはフェイのほう。その降りるに降りれなかったフェイの背中を押すのがチャン(チャン・チェン)。あら、すんまそん、ネタばらしだね、ったく。 近いところでは、ブエノスアイレスっちゃ、森山大道の『ブエノスアイレス』なんだけれど、この王家衛『ブエノスアイレス』で流れるブエノスアイレスも、それに勝るとも劣らないくらいの映像で、思うにこのころのドイルのカメラは好きだなぁ。『天使の涙』なんかでも使った手をまた使ったりしているのだが、猥雑感がたまらない。なんかぞくぞくしてしまいます。バーのタンゴダンサーのシーンもかっこいいしね。カーウァイがインタビューで言ってたか、サッカーの歓声とラテンミュージックでますます猥雑感を盛り上がる。