つい、2,3日前にちらっと読んだのでは、甲子園球場での試合は24日までないので、ジェット風船の是非は様子をみて決めるとか書いてあった。何を、アフォなこと言うとんねん。ボクはいまの状態はヒステリックな過剰反応と見ているのだけれど、こと甲子園球場のジェット風船に関しては問題ありすぎだろうと思う。つまり人の吐息をいっぱい詰め込んだ風船を、人の吐息で飛ばすとどうなるか。つまり吐息を頭上に撒き散らす。ジェット風船飛ばしたことある人、思い出してみ。飛ばしたあと、上を向いて口開けてるだろが。ばんばん入ってくるで、吐息の飛沫。アへアへ、女の吐息なら吸ってもみたいが。
ということで、アフォな阪神もやっと自粛要請にこぎつけた。ちゅうか、なんで、禁止にせんのや!往生際の悪い。これを機にジェット風船は永久に禁止にして欲しい。
DISCASのレビューに《この映画、何か変なのですが、何が変なのか正体を見極められない。もちろん、その変さはよい結果を生んでいるのですが。》と書かれてあるように、まさに変な映画。変といっても、きのうの『SURVIVE』とはまた違う変さで、要するにチャンバラ映画っちゃチャンバラなのですが、他の時代劇とは違ういわゆる「様式美」があるね。藤村志保、若〜〜い(^.^;)
もう長い間うちのトイレにこのチラシが貼ってあって、そそ、この映画が出た2004年頃、トイレの壁紙が猫のツメ磨ぎのためにずたずたで、壁紙をひっちゃぶいたのはいいんだけど、その地のボードすらギタギタで、パテで埋めてからなどと考えてたら、壁紙張り替えるのもめんどくさくなって、びっしり映画や写真展のチラシで埋め尽くせばいいや。と、いうわけで、かれこれ5年の月日が経ちました。そしてようやくDVDで見ましたが、あ〜5年ほど前ってさ、蜷川実花の『mika』出たころだよねぇ。同じように原色ギトギトで、そのころの流行だった? はい、前置きだけで終わりますが、なんだかんだでけっこうおもろいです。意外と乾いてるのですね。ということです。
ところできのうきょうとよく寝ます。ひょっとしてインフルエンザじゃないでしょかw 実はこれ見ながら、きのうも途中で寝てしまっていて、どこからだったかと、見始めたのだけれど、この映画って途中少々抜けていても問題ないっちゃないわけです。ところが見終わったあとに、DVDのサービスの予告編とか見たら、をいをい、そんなシーンなかったやんけと。はい、きっちり居眠ってたのでした。まぁ、こないに寝てしまうのは、おとといの暗室のせいもあるのだが、はぁ眠い、だるい。ごほっ、ごほっ。迂闊に咳のひとつもできやしない。
きのうラブホ街をチャリでぷらぷら走ってたら、仲良くお手てつないだカップルさん。この野郎、激写したろかと思いながら、横を通りすぎたら、二人してマスクしてるの。ふぅ〜ん、なるほど、こういう使い方があったか
とあるビルの1階出口の外。4,5人がたむろして、喫煙タイム。これはもう見慣れた光景ではあるが、その全員が顎にマスク。日に何度もマスクを顎にすることのほうが不潔
話、変わりますが、チューしたりしたら、唾臭くなることないですか? もっと具体的に書くと、おっぱいにチューしたりして再びおっぱいに戻ってきたら、なんとなく自分の唾が臭い。(遠〜〜〜〜い記憶(汁)) それはなぜかというと唾液には雑菌がいっぱいおりましてですね、口の中では雑菌どうしの葛藤で生態系が保たれてるわけですよ。ところがいったん外に出ますと、雑菌が異様に繁殖するために、異臭をはなつ。元教師のいうことですw つまりですね、マスクといえども体外ですから、マスクで生態系のくずれた雑菌の繁殖がお盛んなのです。で、何が言いたいかというと、一日中マスクしてるのは雑菌まみれになってるといっても過言じゃないです。オープンエアなところで一人でいるのならマスクはずしとけばと思うのです。ましてこれから暑くなって汗も加わるととんでもないでしゅ。 ついでに声を大にして言いたい!
甲子園球場のジェット風船禁止にしてくれ!!!!
児島さんといきなりインフルエンザの話に。それから写真の話やら、あれこれあれこれと1時間以上も。インフルエンザは騒ぎ立ててもどうにもならんし。あ、肝心の写真、あははは、さすが児島さん、というか、レベル高いですよ。ちゅうかね、まゆんがどんどん良くなって行くのにビックリ。
10Wに《猫ふん》のぞきに行って、酒井さんにお礼も言わないと。そのあとヨドバシで、印画紙やらフィルムやら買って、お金払ったら、一気に暗くなるw それはそれとして、街の中をチャリで走ってたらダイコクストアに長蛇の列ができてたり、少し異様な事態で、かと思えば、ラブホ街ではカップルが手をつないで歩いていて、通り過ぎたら、二人ともマスクしていて、このあと二人はどうすんだろう、といらぬ詮索、いや、妄想。かと思えば、ビルの外の喫煙所で4,5人が集まってタバコ、というのは今まで通りだが、その全員が顎にマスクというのもアホな景色。
ふらっとギャラリーdenへ。ちょうど作家の長尾さんがいたので少し話す。写真ってのは、デジタルだろうが、アナログだろうが、プリントした時点でそこから先は基本的には変わらない。が、絵画っていうのはどこで完成なのか、あと一筆足したりもできるだろうにということを尋ねてみたら、おもしろい答えが返ってきた。自分の頭の中にイメージはあって、それを描き出して行く。そうして、出てきた絵に対して、ここに何かを描きたしたい、ここにこんなものがあればいいなと思った時点で筆を置く。つまり、その先に描かれたものは、自分にとっては、あざといものでしかない。(長尾さんが言ったのは「あざとい」ということばではなかったけれど) 何らかの信号が入ってきて、そのモノにカメラを向ける。そして瞬間的に何もさしはさまずにシャッターを切る。そこで、ファインダーの中でこのような構図にしてと意識しだした時点で、すでに終わってしまっている。
はい、ギャラリーに戻って夜中の2時まで暗室。あしたからの「後ろ姿は...」にいきなり2枚。インフルエンザとか、に限ったわけでもないが、夜更かしは一番身体に良くないですよ。と、帰り道のニシナリはインフルエンザなどどこ吹く風。
この元になった事件は覚えている。2000年の夏、この少年は野球部員だったのか、同じ高校生を4人、金属バットで殴ったあと、自分の母親も殴り殺した。そのあと、チャリでのあてのない逃避行。《15日間の逃避行中、少年は兵庫県西部付近から日本海側に抜け、北陸地方を経由して東北地方を北上。約1000kmの道のりを自転車だけで走破した。逮捕時の自転車は逃走時のものと違っており、少年は「(途中で)盗んだ」と供述。乗りつぶすたびに盗み、逮捕までに数台を乗り継いでいたようだ。目的地については「北海道に行こうと思った」と話している。》(岡山・金属バット母親殴殺事件より) この1000km以上のチャリによる逃避行のほうが金属バット母親殴殺という事実よりインパクトが強かった。なんでもその間、立体交差している道路の下などで寝ていたという話に、当時ボクはまだバイクで走っていたから、いい寝場所を見つけてたなぁと感心したものだった。 さて、この映画は、東京から、いや、最初のシーンが富士の裾野だからな、まぁ、いいや、雪山を抜け、日本海沿いに北上。元になった事件は夏だけど、冬に置き換えている。って、わけじゃないけど、『67歳の風景』というメイキング映画もあるらしい。つまり67歳の若松孝二の見た風景。そう、この映画はまさに若松孝二にとっての「風景論」なのだ。延々とチャリに乗って走る少年が映し出される。リアリズムを超越したリアリズム。その意味でもこの映画はいいねぇ。