「女殺油地獄」なんて題名そのものは扇情的なんだけど、原作でのお吉って、そう色恋を感じさせるわけでもなく、だいたい与兵衛とお吉に、色恋の関係なんかなかったはず。実は72年だからもう35年も前かぁ、佐藤信の『女殺油地獄』やったんだよね。そのときにやっぱり原作知らんかったらまずいっしょってわけで読んだけど、近松のわりにって感じだったような。道行もないしね。たしか文楽でも観たはずだけど、忘れたw さてこの映画じゃ、樋口可南子でしょ。そこへ五社英雄だから、題名通りに「女殺し」って、まだ言うのですが、「女殺し」って「未亡人殺人事件」を連想するより、「よっ、後家殺し」つまり、殺人じゃなくて、女をイカセルって感じがしませんか? あ、お吉は未亡人後家さんちゃうねw でも樋口可南子で与兵衛が堤真一だから、女が男を食っちゃおうって展開が当たり前に考えられるでしょ。わ、「女は魔物」ってときの樋口可南子にはぞっこん。ボクにも言うてほしい。ははは、というふうに、樋口可南子は大々好きなんだけど、果たしてこの映画がよかったかというと、イマイチです。 これだけ原作を変えてくれたらあっぱれとしかいいようがないんだけど、変えたんだから樋口可南子をもっともっとエロく引っ張って欲しかった。あ、これ五社英雄の遺作ですか。ぅ〜〜ん
はい、よし棒とこから。 「まさにその通り!!!!」とは思うのだが、実際、「ガールズ・トーク」ということばが使われている現場に居合わせたことがないのだった。おばはんトークの現場ならあるw おばはんトークというかさ、子どもが小学校とかに行くようになった奥様たちが集まって、4,5人で、お昼にランチ行ってべちゃくちゃしゃべってるのはみっともないです。まぁ、おっさん連中が、夜に飲み屋で仕事の愚痴こぼしてるのといい勝負ですがね(-。-;) もう2年以上前だが、昭和町のとある喫茶店、いやあの類いは喫茶店とはいわずにカフェってんですか(-.-;)、そこにひとりで入ったら、その奥様4人ご一行様が高歌放吟、いやさすがに歌を歌ってたわけじゃないですが、大声でくだらない話題のおしゃべり、そして大笑いにはうんざりした。この大笑いってのは、男でもイヤですが.. ほんとみっとみないです。連中の旦那の顔を見てみたい。
まごれびゅから 拾ってきました
ちなみに上のリストの( )はCinemaScapeの採点平均 ついでに[ ]はまごれびゅの★の数
というようにこの谷崎の『鍵』は過去に5度映画化されてるんだけど、神代、木俣、T・プラスのは観ました。やっぱりこれは映画にしたらアカン!の代表だね。で、CinemaScapeでも3.5とボチボチのポイントを稼いではいるものの、なんかいいんだか、良くないんだかわからんコメントが並んでいる。さて
日記の「鍵」を、裏木戸の「鍵」に置き換え
原作に忠実である必要はないけれど、許される変更と許されない変更があるのですよ。この改変は絶対に許せません。この一点につきます。これじゃただの不倫話になってしまうだろ。カメラワークがどうこう、市川崑がどうこう、鴈治郎がいいとか、京マチ子は渋すぎるねとか、すべってぶちこわしてあまりある。もうボクとしては怒り狂ってます。
神代監督の『鍵』は、荒砂ゆきという女優(日活ロマンポルノ女優)でわり食ってるけれど、こうしてみると神代監督はは偉大ですよ。あ、決して荒砂ゆきがどうにもならんっていう意味じゃなくて、京マチ子という大看板を向こうにまわしたときに、ゑ?荒砂ゆき? 誰、それ?って この時点でハンディ背負ってるわけですが、そのくせ、観世栄夫とか、河原崎長一郎なんて、この時点でまだまだ青臭い仲代達矢よりずっといいしね。やっぱり神代辰巳と市川崑の立つ位置の差じゃないでしょか。
昔々に聞いたセックス描写、つまりもろ挿入を、汽車の連結器がガッチョンと結合する映像に換えて表現している。その話を聞いたのは中学生くらいのときだったか。へぇ〜っと思いながら、そんな表現をしている映画を観たことがなかった。はい、この市川崑の『鍵』ですよ。なんか意味、あんのか(-。-;) 唐突に汽車が出てきて、はい、二人はやりましたよ、などとしなくてもいいでしょ。奇をてらうというか、苦肉の策なのか、あそこでそのような暗喩は滑稽でしかないというのがわからんかなぁ。(同じようなことをコーエン兄弟がやってたんでしょか? コーエンはあまり好きじゃないので知りませんが) 『鍵』から『瘋癲老人日記』への流れを考えてしまうので、市川崑という期待で観るとあり得ない映画でありました。『瘋癲老人日記』から引用しときます。
モウコレ以上クダクダシク書クノハ止メル。接吻ニハ遂ニ逃ゲラレテシマツタ。口ト口ト合ハセナイデ、互ニ一センチホド離レテ、アーント口ヲ開ケサセテ、予ノ口ノ中ヘ唾液ヲ一滴ポタリト垂ラシ込ンデクレタゞケ。
ジャン・ピエール・レオの若いこと、このときまだ16ですね。そして、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督はというと、フランス映画黄金期の巨匠、ほら『パリの空の下、セーヌは流れる』ってタイトルは聞いたことあるでしょ。ボクも観たことないけどw で、その巨匠がヌーベルヴァーグやっちゃってるんだから。もうたまらんって。はい、『勝手にしやがれ』も1960年でした。 この映画のハイライトはなんってっても、レオとモニークの屋根の上のキスシーンで、胸きゅんきゅんします。
タケシの映画はそう好きなほうじゃなくて、あ、もう『ドール』から観てないな。この『アキレスと亀』はおもしろかったですよ。なんてったって、絵の具かついで、壁にチャリで激突するの、あのシーン最高におもろい、ゲラゲラ笑ってたのだけれど、終わってからDVDのおまけのメイキングみてたら、タケシもゲラゲラ笑ってんだね。そりゃ、やってたらおもろくてしゃないわな。その場の乗りで、本が変わってしまうらしくて、そいうところがボクはとても気に入った。 げらげら笑うたというと、風呂場のシーン。樋口可南子がタケシを風呂の湯の中に押し込むところね。 ぶっちゃけ(-。-;) はじめ、マチスの子どもの頃の義母やってるのが樋口可南子だと勘違い(ほんとは筒井真理子)しばらく見ないうちに、樋口可南子もえらい変ったなと思いながら、で、タケシはどこで出てくるんだろと 子ども-青年の間がえらい長かったから余計にそう感じた。 マチスの青年時代(柳憂怜)はさすがにタケシでは無理だけど、幸子は樋口可南子なら化けれると思うよ。樋口可南子のインパクトに比べて、麻生久美子はちょっと弱いね。 これ機会にタケシのさかのぼって観てみようかなと思ってしまった。
とある女の人wとメールのやりとりしていて、「沼」という語から、ふと思いだす。 「欲望の沼」というのは、初めて観た18禁映画です。いま観たら、たいしたことないんだろうな。女が鏡の前で全裸でオナニーするシーンがあるおかげで18禁だったのですが。ギリシャ映画です。もう40年も前のことです。窓口で「歳、いくつ?」とお姉さんに聞かれて、「じゅ、じゅはち」と(^_^; をっと、今、goo映画で調べたら、《脚本・監督はギリシャ映画界の新鋭コスタス・マヌサキスで、66年カンヌ映画祭にギリシャ代表で出品された農村青年の暴行殺人を描いた異色篇》とな。カンヌじゃぁぁ。そういや、岩下志麻の『心中天網島』も18禁だった。これは北野シネマの会員に18歳とウソでも書かれていたので難なく観れましたが、そんな時代だったんですw