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20090618 Thu [長年日記]市川崑『鍵』
まごれびゅから 拾ってきました
というようにこの谷崎の『鍵』は過去に5度映画化されてるんだけど、神代、木俣、T・プラスのは観ました。やっぱりこれは映画にしたらアカン!の代表だね。で、CinemaScapeでも3.5とボチボチのポイントを稼いではいるものの、なんかいいんだか、良くないんだかわからんコメントが並んでいる。さて 日記の「鍵」を、裏木戸の「鍵」に置き換え 原作に忠実である必要はないけれど、許される変更と許されない変更があるのですよ。この改変は絶対に許せません。この一点につきます。これじゃただの不倫話になってしまうだろ。カメラワークがどうこう、市川崑がどうこう、鴈治郎がいいとか、京マチ子は渋すぎるねとか、すべってぶちこわしてあまりある。もうボクとしては怒り狂ってます。 神代監督の『鍵』は、荒砂ゆきという女優(日活ロマンポルノ女優)でわり食ってるけれど、こうしてみると神代監督はは偉大ですよ。あ、決して荒砂ゆきがどうにもならんっていう意味じゃなくて、京マチ子という大看板を向こうにまわしたときに、ゑ?荒砂ゆき? 誰、それ?って この時点でハンディ背負ってるわけですが、そのくせ、観世栄夫とか、河原崎長一郎なんて、この時点でまだまだ青臭い仲代達矢よりずっといいしね。やっぱり神代辰巳と市川崑の立つ位置の差じゃないでしょか。
昔々に聞いたセックス描写、つまりもろ挿入を、汽車の連結器がガッチョンと結合する映像に換えて表現している。その話を聞いたのは中学生くらいのときだったか。へぇ〜っと思いながら、そんな表現をしている映画を観たことがなかった。はい、この市川崑の『鍵』ですよ。なんか意味、あんのか(-。-;) 唐突に汽車が出てきて、はい、二人はやりましたよ、などとしなくてもいいでしょ。奇をてらうというか、苦肉の策なのか、あそこでそのような暗喩は滑稽でしかないというのがわからんかなぁ。(同じようなことをコーエン兄弟がやってたんでしょか? コーエンはあまり好きじゃないので知りませんが)
モウコレ以上クダクダシク書クノハ止メル。接吻ニハ遂ニ逃ゲラレテシマツタ。口ト口ト合ハセナイデ、互ニ一センチホド離レテ、アーント口ヲ開ケサセテ、予ノ口ノ中ヘ唾液ヲ一滴ポタリト垂ラシ込ンデクレタゞケ。 |
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