いや、いつもだったらね、山本政志『聴かれた女』というように、監督『タイトル』と見出しにするんだけどね、蒼井そら『聴かれた女』のほうがとびつくでしょww とびつかせようとするわりには何も書かないんですがw 山本政志、ボクはお初です。おもろいっ!
蒼井そらもね、ウソさと思われかねませんが、AV時代のん正直な話、見たことないのです。蒼井そらもお初じゃん。 いいじゃん、いいじゃん(^_^) 決して上手いって役者じゃないけど、妙ちきりんな芝居上がりのセリフ回しされるよりずっとずっと自然でいいです。マジ、AVよりこういうとこでがんばってほしいです。決して『愛の流刑地』などでやっちゃってほしくないです(爆)
調子にのってもういっちょw
って、そうそう当たるわけぢゃなし、やっぱり映画もロトかw 蒼井そらに比べたら、南波杏ははるかに大根です。やっぱりムーディーズに逆戻りしたほうがいいかもしれません(汁) ちゅうかね、それよりやっぱり廣田幹夫と山田政志の差なんでしょか。台本がイマイチすぎるんですね。家庭内(夫婦間)宝くじに当たったらセックスできるというのは、おもしろいっちゃおもしろいかもしれないけど、限界がありすぎなんです。
映画瓦版より 『藤純子主演のスター映画だから当時の観客は許していたのかもしれないが、今観ると許しがたいほど彼女の歌はヘタだ。映画の冒頭から藤純子自身が歌う主題歌が流れるのだが、声も音程も不安定で聴くに耐えないひどさ。この映画では最初と最後に1回ずつ歌が流れるのだが、僕は思わず苦笑した。ま、同時代でこのシリーズを観ていた人にとっては、こうした要素が逆にシリーズの特徴になっていたのかもしれないけど。それにしても……。』
誰でもそう思うわなぁ...ほんまにヘタよ(^_^; で、健さん、なんぼなんでも美味しいとこ持って行き過ぎ。若山富三郎は、藤純子の次にキャプションされるのに、のっぴきならぬ事情で、鬼の霍乱ってかw あぁ、でもやっぱり仁義は通さないあかんです。なにがなんでもアラカンっても、わからんか、嵐寛寿郎ですね。渋すぎっ! さてこれから娘の裸映画見ましょう。
はい、その娘さん、いきなり騎乗位で登場です(汁) 32歳?なんだかそうは見えませんけどね。生活に疲れた主婦、あ、そういう役まわりですかw
この原作ね、確か「失楽園」と同じ日経の連載ですよねぇ、某高校の休憩室でw そこに日経が置いてあって、2,3度、読んだけど、なんてくだらないんだ、日経も困ったもんだ、「失楽園」があたったから、またこんな連載くみやがって。こんなのを読むほうも読むほうだけどね、それにしても天下の日経が連載ってのも。日経って日本経済をリードするビジネスマン対象でしょ。ああ、病んでるねぇ、それくらい日経読んでる男連中には不倫願望があるんでしょかw
いや、それはともかく、実の母が主演の映画(上に書いた『緋牡丹博徒』)は、映画瓦版では『大げさでくさい芝居すれすれのところで辛うじて踏みとどまっている、紙一重の傑作。』書かれてましたがw,実の娘主演では『大げさでくさい芝居ふんだんで、まっさかさまにもう踏みとどまることのないところまで落ちきった超駄作。』ですね。
で、なんですか、《愛ルケ》などという言葉まで当時存在したってか、日本って平和です。
いつもの(あるいはキミの)flickr画面とちょっとちがうでしょ。なんとなくうるさいような(^_^; これ、firefoxのアドオンのひとつのgreasemonkeyをぶちこんだのです。 greasemonkeyそのままではどうにもならなくて、これにあちこちで配布されているスクリプトを入れると、上の画像のようになるのです。ちょっと詳しくはここ=>Flickrを使いやすくするGreasemonkeyいろいろ。flickr以外でもなんかできたりするみたいだけど、flickrでこんだけスクリプトが出回ってるのは流石です。
画像のようにするには、flickrPMというスクリプトで、これで人のプロフやメール、はてはスカウトにまで一発で飛べる。 で、これより便利なのがMulti Group Senderで、いっぺんにいくつものグループにポストできる。あのflickrのオリジナルのはいちいちグループの画像を表示してくれて、ボクなんか300くらいもグループ入ってるとウザくって、ウザっくって。これで悩みは解消。
最終日になってやっとのことで見に行く。期待はしてなかった通り。だらだらとユーメーな写真が並んでただけで、《20世紀の巨匠写真家展》以上のコンセプトはなかった。百科事典見てるみたい。とは言っても、それはそれですごいんだけどね、ユージン・スミスの「スペインの村」だったか、あれは写真というよりスーパーリアリズムの絵画だね。
まぁさんと待ち合わせして京都の武内氏のUV展に。受付に「巨匠写真家展」の招待券が30枚ほどあったのには笑た。お金払って見に行った人、気の毒。
木下さんに留守番たのんで、抜け出し、女学院の前の寺山公園でのゲリラ的グループ展にチャリで走る。
とある店のシャッターに頼まれて描いたものだそうですが、そのビルだか建物の大家が、これは落書きだとイチャモンをつけ、即刻、この絵を塗りつぶして元に復元するよう、その店に通告してきたという。結局、そのシャッターをその店は新しいシャッターと取り換えて、この絵を描いた作者にこのシャッターは譲り渡されたらしいのだけれど、はたしてこれでいいのか。
いきさつはどうであるにしろ、このシャッターが、単なる店のシャッターでなくなったのです。それは逆にラッキーじゃないか。単に店のシャッター=看板から抜け出して、いわくつきのアートとして独り歩きを始める、つまりシャッターという店の扉を覆うという使命・拘束がなくなって、移動できるシャッターとしてどこにでも出没できるようになった。なんてハッピーなことでしょう。そういう意味で、いろんな機会に、より多くの人の目に触れさせるといいと思うのです。"No-Money 協会"