トップ «前の日記(20090430 Thu) 最新 次の日記(20090502 Sat)» 編集

うらまごまご日記まごっとmaggot

2009年
5月
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
2002|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2003|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2004|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2005|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|07|08|10|
2012|01|
2013|11|
2014|04|05|
2016|07|08|09|
 コメント・ご意見・ご感想は、e-mailにて
コメント(ツッコミ)はできない設定にしています。


20090501 Fri [長年日記]

『凶区』

きのう4/30に、「大道さんの『凶区』」などと書いていたら、『凶区』ってのは、それ以前に詩の同人誌があった、とのコメントあり。

大道さんの『凶区 Erotica』が出たのは07年の6月(梅田のHEPでの『凶区』の写真展は去年08年の5月)。その写真集の中で「僕が60年代の終わりぐらいから、"凶区"とは言ってないけど、日常に存在する風景や時間というのは、とても禍々しいと思ってきたんです。」とある。また《当時の『朝日ジャーナル』には「凶区」というタイトルの森山の写真が何度か掲載されていた。》(コンプリート0944〜0947)

さて「凶区」というのは、wikiの鈴木志郎康の項によると《1964年、天沢退二郎、渡辺武信、菅谷規矩雄、藤田治、彦坂紹男、秋元潔、山本道子、野沢暎、高野民雄とともに、雑誌「凶区」創刊。「凶区」には、のちに金井美恵子が加入するが、1971年に廃刊宣言号を出す。鈴木は廃刊以前に脱退。》

うは、すごすぎっ(-。-;) なるほどね、「凶区」という言葉はあまりに現代詩すぎる。その当時に、森山大道と鈴木志郎康が出会っていて不思議じゃないね。その話は聞いたことがないけれど。

あ、『詩写真(仮)』始まりました。なんば経済新聞でも紹介していただいてます_(._.)_


2002|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2003|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2004|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2005|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|07|08|10|
2012|01|
2013|11|
2014|04|05|
2016|07|08|09|