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うらまごまご日記まごっとmaggot

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20020426 Fri デジャビュ [長年日記]

なか卯開店

開店セールやってるだろうと、親子丼食いに行ったのに、親子丼は490円のまま。牛丼並が200円。そうなるとやっぱり200円につられて牛丼食うてしまう意気地なし。食いながら、よく考えてみたら、デフレ価格で吉牛270円だろ、なか卯はふつう280円が200円となると、開店セールにしては値引き小さすぎるだろ。やっぱりせめて150円でしょ。しかもと開店セールで安くなってるのは、牛丼並だけとは何を考えとんのじゃ。大阪の人間はチェック厳しいのだ。

デジャビュ

バイクの保険の金を振り込みにわざわざ三井住友に行ったら、給料日直後、しかもゴールデンウィーク直前とあって、鬼くらいの長蛇の列。こりゃアカンわと、クルマを駐車場に戻して、駅にあるUFJのATMに行く。しかし振り込み手数料420円というのはどう考えても高すぎる! なか卯の牛丼2杯以上というのは解せん。まぁ振り込み料は保険屋がもったるというてるんだからエエんだけど。

そのあと仕事場に戻るときに駐車場のクルマの近くを通ったら、クルマの助手席の窓が開いていた。げっ、窓を開けっぱなしにしてた夢を何日か前に見たところじゃないか。まさに予知夢・デジャビュ。見たときは変な夢だなと思いながらきれいに忘れてたのに。

一挙9点

まさかまさかのビッグイニング。冗談みたいなアリアス、きょうもやってくれたぞ満塁ホームラン。しかしこれでヒット14本のうちホームランが9本とは。

朝の道上洋三で「ヒット13本のうちホームランが8本」と言うてたところなのに。その話にアシスタントの秋吉英美が「へぇー、ふつうのヒット6本ですかぁ」 

川崎ゆきお

97/4のガロを見てたら、川崎ゆきおのフォトエッセイが載ってた。その最後にURLも記されてたので、のぞきに行った。ちょっと見ただけだけど、おもろい! コンテンツも山盛りでじっくりかからないと全部見れない。おすすめ! 川崎サイト

電子的レアリズム』 松浦寿輝

気になるテキスト見つけたのでまんま転載

 「倒錯」とは,何かしら不透明で抵抗力を備えたものの現前を介してしか遭遇が可能とならないという動かしがたい事態を前提としたうえで,そうした梃子でも動かないものの現前にゆっくりと馴れ親しんでゆく過程のうちに快楽を見出すといった忍耐強い精神の姿勢のことである.ひとことで,「媒介されること」の快楽のことだと言ってしまってもよいかもしれぬ.記号との遭遇を素直に成就させない不透明な意味の現前があり,「イメージ」への双方向的な働きかけを素直に成就させない隔たりや種々の物理的な制約があり,他者との交通をやはり同様に成就させまいとするなまなましい「イメージ」の戯れや相互の身体の重たるい現前がある.そうした如何ともしがたい不透明な現前の抵抗感そのものに,ゆっくりと溶けこんでゆくことの快楽といったものがあるのだ.「直接性」のメディアの登場とともにわれわれが喪失するのは,この「快楽」なのである.
 しかし,「倒錯」と言うなら,一般的にはむしろ「電子的レアリスム」の方に「倒錯」のレッテルが張りつけられることが多いかもしれない.だが,コンピュータとの対話に親しみすぎたあげく,実社会での対人関係に障害が生じるとか,密室に閉じこもってアダルト・ビデオの映像に没入したあげく,表象されたものとリアルなものとの境が曖昧となって陰惨な性犯罪に走るとか,そうした症例の場合,「倒錯」は,あくまで個人の精神病理の水準で起きている出来事でしかない.その原因をなすものはたしかに「直接化」の昂進した「レアリスム」ではあろう.「電子的レアリスム」が,その「直接性」において,主体を取り巻く日常世界の「現実」を追い越してしまったがゆえに,主体の精神の均衡が崩れ,その遠近法が崩壊してしまったのだ.日常世界の表象作用のまだるっこしさに耐えきれなくなり,それを「無媒介的」に飛び越してしまいたいという衝迫に歯止めがきかなくなってしまったのである.だが,そこから何らかの「倒錯」的な外観を帯びた行為や状態が帰結したところで,それは単に精神の病としての「倒錯」であるにすぎない.それは,「イメージ」それ自体に内在する「倒錯」でもなく,「イメージ」との関係性そのものにおいて生きられた「倒錯」でもない.単に「イメージ」が引き起こした病でしかないのであり,「イメージ」の「倒錯」ではないのである.

無断転載ごめんなさい。ボクのメモとでもとらえていただければさいわいです。

■本日の食事 朝:トースト1、ガーリックフランス 1/3、コーヒー1 昼@なか卯:牛丼並 夕:たけのこご飯、鰺の開き、ジャコきゅうりの酢の物


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